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「多能〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

多能の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
彼岸過迄」より 著者:夏目漱石
な最期《さいご》を今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によって刻《きざ》まれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとし....
耽溺」より 著者:岩野泡鳴
に僕の心の目にかわるがわる映って来るのである。 一方は、燃ゆるがごとき新情想を多能多才の器に包み、一生の寂しみをうち籠めた恋をさえ言い現わし得ないで終ってしま....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
を確立した。その影響は十六世紀以後に建てられた宮殿寺院さえも皆これをうけている。多能な小堀遠州は、桂の離宮、名古屋の城および孤篷庵に、彼が天才の著名な実例をのこ....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
」、「見えざる王、神」のごとき社会批判の小説に到るまでの彼の作品が雄弁に彼の多智多能なるを物語っている。殊に、かの「文化史大系」に到っては、彼の広汎なる科学的智....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
寝番をつとめた。毎月お扶持方として金十五円二歩を賜わった。 この時翁の師匠、喜多能静氏(喜多流十三世家元。現家元六平太氏は十四世)は根岸に住んでいたが、その寓....
文化学院の設立について」より 著者:与謝野晶子
愛読された『楽しき住家』の著者として、特にその名を知られていますが、氏は稀に見る多能な人で、画家、建築家、工芸美術家、詩人であると共に、更に熱心な文化生活の研究....
雑記(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
興味から原理や事実の探究にのみ耽る人もある。中には両方面を併せて豊富に有っている多能な人もないではない。 ボーアのごときはむしろこの第二のタイプの学者であるよ....
大塚楠緒子」より 著者:長谷川時雨
天女なんぞと酷評したことがあってから、公開の席では見ることが出来なくなりました。多能な女史は料理についても研究なされて、小集会などもよく催されたようでした。 ....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
日が初日で、沸き返るような前景気。まず、ざっとこんなあんばい。 才気縦横、多技多能……、四|通《つう》八|達《たつ》とでも言いましょうか、江戸始まって以来の奇....
学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
さと応接すべし。ゆえに交わりを広くするの要は、この心事をなるたけ沢山にして、多芸多能一色に偏せず、さまざまの方向によりて人に接するにあり。あるいは学問をもって接....
孔子」より 著者:和辻哲郎
像されやすいことであるが、しかしこれは 吾|少かりしとき賤しかりき、ゆえに鄙事に多能なり。(子罕、六) という『論語』の句と合わない。子供の遊びとしてさえも礼容....
徹底的な浜尾君」より 著者:甲賀三郎
あったそうである。啻に文筆のみならず、音楽にも亦深い趣味と諒解があって、誠に多芸多能の人であった。 こうした性格、学識、多趣味は最も随筆に必要な事であって、又....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
分で焼くのか。……この茶碗の作者がこの人だとは思えなかったが) と、光悦の多芸多能の才に、いやその才よりも、粗朴な茶碗のような姿をしていて、実はその裡に隠して....
三国志」より 著者:吉川英治
る以上その性格的短所はいくらでも挙げられようが、――それらの八面|玲瓏ともいえる多能、いわゆる玄徳が敬愛おかなかった大才というものはちょっとこの東洋の古今にかけ....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
以前の室町期でも、また以後の江戸初期の頃をながめても、一体に、むかしの人は、多芸多能であった。 こころみに、本阿弥光悦とか、灰屋紹由とか、松花堂|昭乗とか、あ....