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多賀城
「多賀城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
多賀城の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「惜別」より 著者:太宰治
れて、何か深い意味ありげに一礼して、その他、榴ヶ岡、桜ヶ岡、三滝温泉、宮城野原、
多賀城址など、次第に遠方にまで探索の足をのばし、とうとう或る二日つづきの休みを利....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
外の海の面に向って当りをつけて見たが無駄であった、というだけのものでありました。
多賀城の石碑《いしぶみ》へも、名所の一つだからと案内されるままに行って見ましたけ....
「平泉紀行」より 著者:村山俊太郎
速一本参る。 宿屋についた。仙台市××町瀬戸かけの誤りか……うふふ。 明日は
多賀城に向かうのだ。疲れたからだに夢も忘れて眠る。 (第二信・仙台にて) ....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
様ではありますが、奈良朝のはじめには出羽国が設置せられ、引続き陸奥(今の陸前)に
多賀城を置き、秋田城との連絡を保って奥羽地方の蝦夷の経営は、着々進捗して参りまし....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
達していた。 しかし、当時としては何しろたいへんな遠隔だった。 鎮守府の柵、
多賀城のあった地は、いまの宮城県宮城郡
多賀城町市川、岩切駅の東一里で、仙台から松....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
この山間の仙北地方は、なお久しく麁蝦夷すなわち生蕃の住処として遺され、奥州の国府
多賀城から、出羽の秋田城に通ずるにも、最上川に沿うていったん西に下り、飽海郡から....