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多門
「多門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
多門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三右衛門の罪」より 著者:芥川竜之介
「御側役《おそばやく》平田喜太夫殿《ひらたきだいふどの》の総領《そうりょう》、
多門《たもん》と申すものでございました。」
「その試合に数馬《かずま》は負けたの....
「稲生播磨守」より 著者:林不忘
郁之進 (臆病に)わ、わたくしの帯刀でござります。 奎堂 たしかめますが、この
多門三郎景光でござるぞ。しかとお手前の刀《もの》に相違ありませぬな。 播磨 郁之....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ん》は略して……草鞋《わらじ》も略して、それから脛当《すねあて》だ。多分これは、
多門脛当というやつだな」
脛当を取って、まず左の足につけながら、
「こうして左....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
たったか。麹町《こうじまち》三番町、百五十石|小普請《こぶしん》入りの旗本|土屋
多門《つちやたもん》方の表門を、ドンドンと乱打する者がある。
「ちッ。なんだい今....
「東上記」より 著者:寺田寅彦
りつく日のきらめく暑そうなり。川口に当りて海面鏡のごとく帆船の大き小さきも見ゆ。
多門通りより元の道に出てまた前の氷屋に一杯の玉壺を呼んで荷物を受取り停車場に行く....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
があった。先代が死んで、ようやく四十九日がすぎたばかりというとき、小沼男爵が坂巻
多門という生糸商人をつれてやってきた。 小沼男爵はチヂミ屋の当主久五郎(二十八....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
り庭木にとりかこまれた、一軒の荒れた屋敷があった。 この頃|京都で評判の高い、
多門兵衛という弁才坊(今日のいわゆる幇間)と、十八になる娘の民弥、二人の住んでい....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
から二代後に、火事で家宝や系図の類を焼いてしまったのである。 それから四代後の
多門房行高の時には、 「死に臨んで遺言するが、わが家は修験であるから、何事があっ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
にいた吉岡宗雲君は、京都|高辻富小路の仏師の悴で、今は郷里に帰っており、次に奈良
多門町の大経師の悴で、鏑木寅三郎君は紫雲と号す。これは昨年卒業し、現在府下滝の川....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
ござりまする」 そういう将卒の顔には、何等の憂の影もなかった。 我等が信ずる
多門兵衛様が――日本の孔明、張良が、城を開こうとするのである。開くべき筋があれば....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
いわけ》を見るに作弥九兵衛《さくやきゅうべえ》玉川千之丞《たまがわせんのじょう》
多門庄左衛門《たもんしょうざえもん》らの俳優出でたる寛永承応の頃を劇道の大昔とな....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
感じると、さすがに、武蔵もためらった。 沢庵は、手招きして、 「はやく来ぬか」
多門を通ってゆく。 内堀の二の門へかかる。 まだ泰平に落着き切れない大名の城....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
苔につつまれた石垣と柵の上に、巨木の林が海のように鳴っていた。そこの真っ暗な
多門型の石塀のかげに、ポチと、四角な窓から明りが洩れている。 声をかけると、番....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
鬱然とした大樹はあるが、渭山はあまり高くない。山というよりは丘である。 西の丸、本丸、楼台、
多門など――徳島城の白い外壁は、その鬱蒼によって、工芸的な荘重と歴史的な錆をのぞ....
「ゆめの話」より 著者:室生犀星
むかし加賀百万石の城下に、長町という武士町がありました。樹が屋敷をつつんで昼でもうす暗い寂しい町です。そこに浅井
多門という武士がありました。ある晩のこと、友だちのところで遊んで遅く川岸づたいに....