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「大三〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大三の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
野菊の墓」より 著者:伊藤左千夫
まいと思ったけれど、年の暮だから一日でも二日でも帰れというて母から手紙がきた故、大三十日《おおみそか》の夜帰ってきた。お増も今年きりで下《さが》ったとの話でいよ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。私の本は来年にまわるので、その挨拶に来られしわけ。 十二月三十一日(火) ◯大三十日の特徴は、速達の原稿料払いが三つ四つもつづいたこと、荒木さんが印税を持っ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
がみしも》、御目見以下の者は普通の麻※※を着けていた。 角右衛門の主人の伜杉野大三郎もことし十三で吟味の願いを出した。大三郎は組中でも評判の美少年で、黒の肩衣....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
がありました。 その中でもごく熱心に止められたのは今和歌山に判事をして居る角谷大三郎という人です。 「世の物笑いとなるような事をしてはならず、もはや君は仏教の....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
表者とますのである。そしてこの神が親から神事幽事を掌り給い、ことにその魂を大和の大三輪の神奈備に鎮め、その御子神達をもそれぞれに大和各所の神奈備に鎮めて、皇孫尊....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
遺物として、墳墓中から極めて稀に発見せらるる以外には、正倉院・三月堂・春日神社・大三島神社等の古社寺に往々保存せられて、考古学者はこれを奈良朝頃に多く行われたも....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
ども、東京の予選なぞはおよそ侘しい限りで、戦争中のことであるが、当時黄金時代の日大三中と荏原中学が一回戦で顔があった。これが事実上の優勝戦であるばかりか、その勝....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
いうものはない。故郷の五十鈴川上の猿田彦神社の如きもチッポケ千万なもの、大国主の大三輪神社その他諸国に数々の大神社、スサノオの八坂神社等々に比べて、神話中の立居....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ことだ。これが三島神社の古伝だそうである。 伊予の三島神社というのは瀬戸内海の大三島(オーミシマ)の三島神社であろう。この祭神は大ヤマズミで三島神社の古伝と合....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
あって、主人が出張で行かれないから、妻ヤスノ(三四)が多津子(十五)秀夫(十二)大三(七ツ)の三子をつれ、家令今村左伝(六二)同人妻カメ女(五五)と、ハツエ(二....
十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
旁々座に控えていた者はたった四人。――いずれも御気に入りの近侍の林四門七と、永井大三郎と、石川六四郎と、そうして多々羅半兵衛の四人だった。 声はない……。 ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
離れない。いたるところに青みがかった岸の柳も旅するものの目をよろこばすころで、一大三角州をなした淀川の川口にはもはや春がめぐって来ていた。でも、うっかりロセスな....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
所の寿徳庵さんいずれも東都随一の盛況を致せしは皆女主人の努力でありました。今日の大三井家も現代において基礎を作りしは女主人であり、現代でも味の素の大をなせしも当....
俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
験することであります。何事も遅れがちの私の家では、正月の設けというものも、とかく大三十日の晩ぐらいにするのであります。 萬歳の鼓もうたで帰りけり 萬歳は門には....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ていた群集は一事変を目撃した。 船員らはちょうど帆を張っていた。すると、右舷の大三角帆の上端をとらえる役目の水夫が身体の平均を失った。彼はよろめいた。それを見....