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「大久保〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大久保の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
手紙」より 著者:芥川竜之介
す。五六日前の午後のことです。僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙《おおくぼむさしあぶみ》」を読んでいました。するとそこへ襖《ふすま》....
忠義」より 著者:芥川竜之介
う関係上、彼はこれまで、始終修理に対して、意見番の役を勤めていた。彼が「板倉家の大久保彦左《おおくぼひこざ》」などと呼ばれていたのも、完《まった》くこの忠諫《ち....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
したんだ。勿論、相手は鳥のことだから何も十万坪に限ったこともねえ。王子へ出るか、大久保へ出るか、とても見当の付くわけのもんじゃねえが、なにしろ十万坪の絵から考え....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
はできねえ。その旗本はなんという屋敷で、隠居の下屋敷はどこにあるんだ」 「屋敷は大久保式部という千石取りで、その隠居の下屋敷は雑司ヶ谷にあるそうです」 「じゃあ....
ネオン横丁殺人事件」より 著者:海野十三
ったがどうしたものか、どこにもその姿は見当らなかった。電車道を越えて、小路の多い大久保の方へ逃げこんだものと見える。そうだとすると、追跡は全く不可能になる。 ....
自叙伝」より 著者:大杉栄
横井の家にも僕と同じ年頃の男の子が一人いた。それともう一人、石川の家の筋向いの、大久保という大尉の家の子供と、それだけがすぐに友達になってしまった。もっとも横井....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
家主も建て直したいというので、いよいよ三月なかばにここを立ち退いて、さらに現在の大久保百人町に移転することになった。いわゆる東移西転、どこにどう落着くか判らない....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
十代目の忠義でほろびたのである。それは元和元年、すなわち大坂落城の年の夏で、かの大久保|相模守の姻戚関係から滅亡の禍いをまねいたのであると伝えられている。 大....
駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
である。同じ交通の便利の恩恵を受けるにも両様の意味がある。 ▲戸川秋骨君が曾て大久保を高等|裏店だと云ったのは適切の名言である。 ▲其上に我々は市外に駆逐さ....
政談十二社」より 著者:泉鏡花
六 「昨年のことで、妙にまたいとこはとこが搦みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場から四人|詰ばかりの小さい....
獄中消息」より 著者:大杉栄
堀保子宛・明治四十二年十二月二十三日 まだ三保にいるのかと思うが、ともかくも大久保に宛ててこの手紙を出す。表に至急としてあるから、いずれにしても至急足下の手....
怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
事を申上げてから、トントン拍子。それから又佐渡の金山を開いて大当りをして、後には大久保の苗字を賜わり、大久保|石見守長安とまで出世したのじゃが、それ程の才物ゆえ....
郊外生活の一年」より 著者:岡本綺堂
震災以来、諸方を流転して、おちつかない日を送ること一年九ヵ月で、月並の文句ではあるが光陰流水の感に堪えない。大久保へ流れ込んで来たのは去年の三月で、もう一年以上になる。東京市内に生まれて、....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
たのであろう。下らぬ比較をするようだが、この三君を維新の三傑に比べたなら高田君は大久保甲東で、天野君は木戸である。大西郷の役廻りはドウシテモ坪内君に向けなければ....
大切な雰囲気」より 著者:石井柏亭
には相当の分量を書いて居る。 小出の随筆にはユーモアと警句とが頻出する。例えば大久保作次郎君の印象を書いた短文のなかに、「君子は危きに近よらずとか申しますが、....