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大倉喜八郎
「大倉喜八郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大倉喜八郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「火の鳥」より 著者:太宰治
だ。 「あなたは、いつから来ていたの?」冷い語調であった。 「おれかい?」死んだ
大倉喜八郎翁にそっくりの丸い顔を、ぱっとあからめ、子供のようにはにかんだ。「ほん....
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
るのだと冷かされても仕方があるまい。 ところが事実はこれを裏切った。天下の富豪
大倉喜八郎氏が百何十万円とかを投じて賀筵《がえん》を張る。そのために支那から俳優....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
やはり依然たる兵隊町だった。兵隊のお蔭でようやく食っている町だった。 製糸場は
大倉喜八郎個人のもので、大倉製糸場の看板をさげていた。そしてこれは喜八郎の営利心....
「うつり香」より 著者:近松秋江
しく見えた。そうして私は、柳沢がいつか小間使というものが好きだ。といって、かつて
大倉喜八郎の家へ新聞記者で招待せられた時、そこで一人の美しい小間使が眼にとまって....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
卑俗なユーモアがあるが、何故あれをもっとうまく利用しないかと、いつも考えている。
大倉喜八郎が拙い狂句を作ったり、太閤秀吉が、とてつもない事をしたりするあの明るさ....
「田端日記」より 著者:芥川竜之介
れから、自笑軒へ飯を食いに行った。僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に
大倉喜八郎と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う....
「山本有三氏の境地」より 著者:宮本百合子
市村座で初演。「嬰児殺し」有楽座で初演。 一九二二年。「女親」帝劇に於て初演。
大倉喜八郎一夜帝劇を買切りし際、「女親」の一部を改めて上演せしことを知り、劇作家....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
きていかせつけん》の養女である。伯爵黒田清輝画伯夫人も柳橋でならした美人である。
大倉喜八郎夫人は吉原の引手茶屋の養女ということである。銅山王古川虎之助氏母堂は、....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
シア語の米川正夫とが桑原会というのを宮城道雄のところで開き、招待が来ていました。
大倉喜八郎(?)或は喜七(?)が「オークラロ」という尺八の改良したものを発明して....
「私の葬式」より 著者:坂口安吾
っていないが、誰々の告別式に誰々が来なかったなどゝ、日本はうるさいところである。
大倉喜八郎というお金持はオレが死んだら赤石山のお花畑へ骨をまいてくれと遺言したそ....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
。どこを取り立てていうことは出来ないが、一種のチャームを持っているのである。富豪
大倉喜八郎氏の成功は実に彼の福相によると人はいうが、さもあるべきことと思う。当店....
「豊竹呂昇」より 著者:長谷川時雨
々《そうそう》たる顔ぶれであり、実業家や金満家には添田寿一《そえだじゅいち》氏、
大倉喜八郎氏、千葉松兵衛氏、福沢捨次郎氏、古河虎之助氏などは争って邸宅へ招じた後....
「自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
に写される時むざんに歪められてしまうような事も少くなかった。松方正義老公の銀像、
大倉喜八郎男夫妻の坐像、法隆寺貫主の坐像などが記憶にのこっている。松方老公のは助....
「志士と経済」より 著者:服部之総
と、相容れぬものに思いこむ仕方は、幕末東方君子国時代、すでにもうはやらなかった。
大倉喜八郎《おおくらきはちろう》の祖父、越後北蒲原《えちごきたかんばら》郡|新発....
「家庭料理の話」より 著者:北大路魯山人
深く考え、食によって真の健康を勝ち得てもらいたい。 かつて畏友大村医博の話に、
大倉喜八郎氏の家に料理することの非常にうまい老女中がいて、ご当人もなかなかご自慢....