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大内山
「大内山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大内山の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「Liber Studiorum」より 著者:寺田寅彦
ようにはい上りはいおり行きちがっている。遠くにはお城の角櫓が見え、その向こうには
大内山の木立ちが地平線を柔らかにぼかしている。左のほうには小豆色の東京駅が横たわ....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
したものが多く、文明七年に至って始めて諸公事が再興されたのであるから、それまでの
大内山のわびしさは、けだし想像に余ることであったろう。この文明七年の四方拝には、....
「源氏物語」より 著者:紫式部
撒《ま》きになったのが恨めしくて、こうしてお送りしてきたのですよ。 もろともに
大内山は出《い》でつれど入る方見せぬいざよひの月」 さも秘密を見現わしたよう....
「鵺」より 著者:楠山正雄
昇殿といって、御殿の上に上ることを許されませんでした。それである時、 「人知れぬ
大内山の 山守りは 木がくれてのみ 月を見るかな。」 という歌を詠みました。そ....
「魔都」より 著者:久生十蘭
、野暮な足音を舗道に響かせながらお濠端《ほりばた》の方へ歩いて行く。見上ぐれば、
大内山の翠松の上には歯切れの悪い晦日《みそか》の月。柳眉悲泣といったぐあいに引っ....
「棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
ているのです。この野原へ出ると、芒や茅の戦いでいる野路の向うに、明神ヶ|岳とか、
大内山という島原半島の山々が紫色に霞んで、中腹の草原でも焼き払ってるのでしょうか....
「帝大聖書研究会終講の辞」より 著者:矢内原忠雄
たのであるが、種々の都合で教授側では結局発起者たる私一人となった。会は毎月一回帝
大内山上集会所で開いたが、非公開の内輪の会とし、且つ会員各自の自由談論によること....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
に軍兵を布き、示威のかたちをとっている。――そのまん中に、手も足もうごかしえない
大内山の森、内裏の諸門が、しいんとして在った。 が、十九日も明けてからの、宮中....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
なからぬ距離である。いやそんな思考のいとまはない。俊基はもう“死眸の人”だった。
大内山いちめんの五月のみどりも華麗な甍も、まっ暗だった。 「いけない!」 はっ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
れば去年お立退きのさい、二条富小路の内裏はすでに焼けうせている。――そして元々の
大内山は大内裏造営工事の工もいまだ半ばのままで、しょせんお入りあるにはたえない。....