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「大名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
しと》られて、八月の中旬に獄門になった、評判の高い大賊《たいぞく》である。それが大名屋敷へばかり忍び込んで、盗んだ金は窮民へ施したというところから、当時は義賊と....
神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
眼を使った。 「お前さんはパンを知っているのですか?」 「何、西国《さいこく》の大名の子たちが、西洋から持って帰ったと云う、横文字《よこもじ》の本にあったのです....
煙管」より 著者:芥川竜之介
事を意識するのが斉広にとっては、かなり愉快な感じを与えた。――現に彼には、同席の大名に、あまりお煙管が見事だからちょいと拝見させて頂きたいと、云われた後《あと》....
野呂松人形」より 著者:芥川竜之介
形と云う。野呂松の略語なり」とある。昔は蔵前《くらまえ》の札差《ふださし》とか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみに使ったものだそうだが、今では....
忠義」より 著者:芥川竜之介
》しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合《つきあい》の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから刃....
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
共にしたと云う事が書いてある。すでに彼は、「東方」にさえ、その足跡を止めている。大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架《くるす》を胸に懸けて、パアテル....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
次第に徹底して来るのです。 三十年戦争や、この時代の末期に出て来た持久戦争の最大名手であるフリードリヒ大王の七年戦争などは、その代表的なものであります。持久戦....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
ら、胸前にかかる湯気を忘れたように手で捌いて、 「按摩だ、がその按摩が、旧はさる大名に仕えた士族の果で、聞きねえ。私等が流儀と、同じその道の芸の上手。江戸の宗家....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
行くかい。」と最初から掛構いなくおっしゃって。――こちらは、それと聞きますと、お大名か、お殿様が御微行で、こんな破屋へ、と吃驚しましたのに、「何にも入らない。南....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
い屋形船も乗る人の気分も変り、型も改まって全く昔を偲ぶよすがもない。この屋形船は大名遊びや町人の札差しが招宴に利用したもので、大抵は屋根がなく、一人や二人で乗る....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
ダルにその学説の価値が充分に理解できたならば、チンダル自身がさらに大科学者として大名を残したに違いない。それは何か。 前にフィリップスに与えた手紙のところで述....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
て五十万|弗を支出せんには三|隻の船を造りこれに水雷を装置して敵に当るべし、西国大名のごときこれを粉韲を以て三隻の水雷船を造り、以て敵を鏖にすべしなど真に一|場....
活人形」より 著者:泉鏡花
院の甍は眩く輝きぬ。処は相州東鎌倉雪の下村……番地の家は、昔|何某とかやいえりし大名|邸の旧跡なるを、今は赤城得三が住家とせり。 門札を見て、「フム此家だな。....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ることはこの問題のなかなか容易でなかった事を示している。 その後モルトケ元帥の大名望とドイツ参謀本部の能力が国民絶対の信頼を博した結果、統帥権の独立は確固不抜....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
ていたのに違いない。しかし広い「お竹倉」をはじめ、「伊達様」「津軽様」などという大名屋敷はまだ確かに本所の上へ封建時代の影を投げかけていた。…… 殊に僕の住ん....