大名屋敷[語句情報] »
大名屋敷
「大名屋敷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大名屋敷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
しと》られて、八月の中旬に獄門になった、評判の高い大賊《たいぞく》である。それが
大名屋敷へばかり忍び込んで、盗んだ金は窮民へ施したというところから、当時は義賊と....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ので、長い堤のあいだでも、ここだけは誰も近寄るものがない。一体この堤の草は近所の
大名屋敷や旗本屋敷で飼馬《かいば》の料に刈り取ることになっていまして、筋違から和....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
こうもり》が飛び出して諸人をおどろかしたとか、種々の雑説が世間に伝えられた。古い
大名屋敷には往々そんな怪談が付きまとうので、屋敷跡の屯所の築山にも古狐か古猫のた....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
はあるが、商売柄だけにさすがに眼がきいているので、上作の仮面を見つけ出して、ある
大名屋敷へ売り込んで大金儲けをしようと思った。ところがその目算《もくさん》がはず....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ようと巧らんでいた。 その魚は去年の春の潮に乗って寄って来た。それは中国辺の或
大名屋敷の留守居役で、歌女代をぜひ自分の持ち物にしたいという註文であった。跡取り....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
うな薄暗い町の影を作っていた。雨のゆうぐれは殊にわびしかった。Kのおじさんも或る
大名屋敷の門内に住んでいたが、おそらくその昔は家老とか用人とかいう身分の人の住居....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
の心持であった。 三崎町一、二丁目は早く開けていたが、三丁目は旧幕府の講武所、
大名屋敷、旗本屋敷の跡で、明治の初年から陸軍の練兵場となっていた。それは一面の広....
「妖婆」より 著者:岡本綺堂
五番町を合せているのである事だけを断って置きたい。そうして、この辺はほとんどみな
大名屋敷か旗本屋敷、ことに旗本屋敷の多かったことをも断って置かなければならない。....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
方は、いわゆる三軒家の通りで、濠端の三宅侯の邸地からつづいて、その大部分は旗本の
大名屋敷の跡であった。お鷹匠ばかりでなく、三宅侯の邸内にはあの画技に勁烈な意気と....
「恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
違いでなく、何か相当の子細があるに相違ないと義助は思った。 小泉の店は旧家で、
大名屋敷や旗本屋敷へも出入りをしている。菓子商売のほかに地所や家作を持っていて、....
「沼畔小話集」より 著者:犬田卯
ろがある日、Aの口がちょっとすべったのだ。 「俺には家の構えを一目見ると、どんな
大名屋敷でも、どこに金がしまってあるか分る!」 村人はこの一言に、すっかり戦慄....
「三崎町の原」より 著者:岡本綺堂
の心持であった。 三崎町一、二丁目は早く開けていたが、三丁目は旧幕府の講武所、
大名屋敷、旗本屋敷の跡で、明治の初年から陸軍の練兵場となっていた。それは一面の広....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
。 今なら三千円ぐらいは素丁稚でも造作もなく儲けられるが、小川町や番町あたりの
大名屋敷や旗下屋敷が御殿ぐるみ千坪十円ぐらいで払下げ出来た時代の三千円は決して容....
「芝、麻布」より 著者:小山内薫
大きな門がある。門をはいると、門番の住居が別に一棟立っているのに先ず驚かされた。
大名屋敷の表のような堂々たる玄関、宿屋の風呂場のような広々とした明るい湯殿、板の....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
ていたのに違いない。しかし広い「お竹倉」をはじめ、「伊達様」「津軽様」などという
大名屋敷はまだ確かに本所の上へ封建時代の影を投げかけていた。…… 殊に僕の住ん....