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大君
「大君〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大君の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
目で見られるのである。 最後の御奉公を致さん。 今日よりは かえり見なくて
大君の 醜の御楯と 出で立つ われらは ◯暢彦が英に聞いている。 「なぜソ連....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
して、近江甲賀郡|土岐多羅越より、甥三好秀次、中村|一氏等を第二軍(二万)として
大君畑越より、秀吉自らは第三軍(三万)を率いて安楽越よりして、伊勢に侵入した。こ....
「骸骨館」より 著者:海野十三
わかったよ。では諸君、さよなら」 「なにか遺言はない?」 「遺言?」 「だって正
大君。君は骸骨を見たとたんにびっくりして死んじまうかもしれないからね。何か遺言し....
「『新訳源氏物語』初版の序」より 著者:上田敏
ける」と記された薫大将の美、「扇ならで、これにても月は招きつべかりけり」と戯れる
大君の才までが、覚束ないうろおぼえの上に、うっすりと現われて、一種の懐しさを感じ....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
、明治の前までは国王の下に、王族の女子あるいは寡婦が斎女王同様の為事をして、聞得
大君(ちふいぢん)と言うた。尚家の中途で、皇后の下に位どられることになったが、以....
「夢殿」より 著者:楠山正雄
寝ていたこじきが、むくむくと頭をあげて、 「斑鳩や 富の小川の 絶えばこそ 我が
大君の 御名を忘れめ。」 と御返歌を申し上げたといいます。 歌の中にある「斑....
「遺言」より 著者:国木田独歩
から今だにわれらさえ肩身の狭き心地いたし候この度こそそなたは父にも兄にもかわりて
大君の御為国の為勇ましく戦い、命に代えて父の罪を償いわが祖先の名を高め候わんこと....
「犬神娘」より 著者:国枝史郎
したが、ご上人様はそのままお逝去りなされた、あの悲劇になったのでござります。 「
大君のためには何かをしからん薩摩の瀬戸に身は沈むとも」これがご辞世でございます。....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
声がしていた。
「奉公心得の事! ……」神々しい老人の声であった。
「それ
大君は、上古|伊弉冊尊、天日を請受け、天照大神を生み給い、この国の君とし給いしよ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
。さればその性素樸勇悍にして、君に仕えては「海行かば水浸く屍、山行かば草生す屍、
大君の辺にこそ死なめ、のどには死なじと言ひ来る人たち」なりしなるべく、アイヌの性....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
代えたのは奈良朝の末で、けだし好き意味の文字を取り換えたに他ならぬ。そしてそれは
大君のまします御膝元の地として、オオヤマトと敬称したものであったが、後には文字を....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
りました。その大伴佐伯の祖先以来の家訓に、 海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、
大君の辺にこそ死なめ、のどには死なじ。 とあります。
大君の御為には、屍を海の水....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
点では京都の宮廷貴紳と何のかわりもあるわけはない。そこに、 太上天皇御書下預時歌
大君の勅をかしこみちちははにこころはわくとも人にいはめやも 山は裂け海はあせなむ....
「古事記」より 著者:太安万侶
お歌いなさいました。 照り輝く日のような御子《みこ》樣 御威光すぐれたわたしの
大君樣。 新しい年が來て過ぎて行けば、 新しい月は來て過ぎて行きます。 ほんとう....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
いえば肉食はわが国固有の風習で、昔は決して穢れとはしませんでした。上は一天万乗の
大君を始め奉り、下は一般民衆に至るまで、みなこれを口にして憚りませんでした。むろ....