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「大唐西域記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大唐西域記の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
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十二支考」より 著者:南方熊楠
鉄を受けた奴輩だと仏が説かれた。 (大正三年一月、『太陽』二〇ノ一) 玄奘の『大唐西域記』巻三に、北インド咀叉始羅《たつさしら》国の北界より信度《しんど》河を....
十二支考」より 著者:南方熊楠
それまた余勢で馬までも霊物と交われば、最良種を生ずると想像するに及んだらしい。『大唐西域記』一に、〈屈支国東境城北天祠の前に大竜池あり、諸竜形を易《か》え牝馬と....
十二支考」より 著者:南方熊楠
を司る猴神ある事前述のごとく、そのほかまた猴を山の神とせるあり。 玄奘三蔵の『大唐西域記』十に、駄那羯礫迦国の城の東西に東山西山てふ伽藍あり。この国の先王がい....
十二支考」より 著者:南方熊楠
》御入来を願うと張り出した。熊楠いう、東洋にはずっと豪いのがあって、玄奘三蔵の『大唐西域記』巻十二|烏※国《うせつこく》の条に、その都の西二百余里の大山頂に卒都....
『西遊記』の夢」より 著者:中谷宇吉郎
」と言うと勿論《もちろん》大変なさわぎである。三人の子供が折りかさなって、国訳『大唐西域記《だいとうさいいきき》』を覗《のぞ》き込んで、「三蔵法師玄奘|奉詔訳《....
小説のタネ」より 著者:吉川英治
亜を通って、十八年がかりで印度へ行った玄奘三蔵法師の旅行記がそれなんです。その「大唐西域記」は三蔵自身の記録といわれてるから、ほとんど史実ですからね、そんな厳然....