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「大坂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大坂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
み》に願って暇《いとま》を貰い、仇のゆくえを探しに出ました。 千右衛門は先ず京大坂を探索しましたが、更に手がかりが無いので、東海道の宿々を探しながら江戸へ下《....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
夕雛の男というのは程を越えた道楽が両親や親類の眼にも余って、去年から勘当同様に大坂の縁者へ預けられてしまった。夕雛は西の空を見て毎日泣いている。それを気の毒と....
心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
一 寛延《かんえん》二|己巳年《つちのとみどし》の二月から三月にかけて、大坂は千日前《せんにちまえ》に二つの首が獄門に梟《か》けられた。ひとつは九郎右衛....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
人のように顫《ふる》えながらそこにべったりと坐ってしまった。 元和《げんな》の大坂落城から僅か十年あまりで、血の匂いに馴れている侍は、自分の前に横たわっている....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ました。これもその年の二月、長崎へ来た外国船からはやり出したもので、三月頃には京大坂に伝わり、それが東海道を越えて五、六月頃には江戸にはいって来ると、さあ大変、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
のか」 「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」 「なんでそんなに諸....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、その怪しい婆さんは毎日おなじ家へ仕入れに来ないらしい。最初のうちは本所四ツ目の大坂屋という店へ半月以上もつづけて来たが、その後ばったりと来なくなった。近頃では....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
十一時十分であったが、玉川線は十時半が終車ゆえ、歩くしかない。焼跡の間の一本道を大坂上にかかったとき、警戒警報が発令された。あまり灯火を消す風も見えず、憲兵隊の....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
あけて、この事を家あるじに語りければ、それこそ折ふしは来り給ふ人なり。かの女尼は大坂の唐物商人伏見屋てふ家のむすめにて、しかも美人の聞えありけれども、姑の病みて....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
、義|康の九代を伝えて、十代目の忠義でほろびたのである。それは元和元年、すなわち大坂落城の年の夏で、かの大久保|相模守の姻戚関係から滅亡の禍いをまねいたのである....
恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
いると思うと、どうしても江戸にはいたたまれないので、喜多屋から無理に暇を取って京大坂を流れあるいて、去年から藤沢の叔母のもとへ帰って来たというのである。 それ....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
とおよそ三百年、ほとんど絶え間なしに打ちつづいた日本国じゅうの争乱も、元和元年の大坂落城を最後としてひとまず静謐に帰したが、寛永十四年の冬から十五年の春にかけて....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
のもある。これは淀君と秀頼とになぞらえたもので、小坂部の怪談に託して豊臣滅亡後の大坂城をかいたのである。現に大坂城内には不入の間があって、そこには淀君の霊が生け....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
久に見ることが出来なくなった。 前者は二十八年の十一月興行の中幕で、一番目は「大坂陣諸家記録」、二番目は「伊賀越道中双六」の岡崎と仇討であった。一番目は在来の....
古事記」より 著者:太安万侶
臣・大宅《おおやけ》の臣・粟田の臣・小野の臣・柿本の臣・壹比韋《いちひい》の臣・大坂の臣・阿那の臣・多紀《たき》の臣・羽栗の臣・知多の臣・牟耶《むざ》の臣・都怒....