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「大坂城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大坂城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
差物が潮のように濠を塞ぎ、曲輪《くるわ》に溢れ、寄手の軍勢から一際鋭角を作って、大坂城の中へ楔《くさび》のごとく食い入って行くのを見ると、他愛もない児童のように....
行人」より 著者:夏目漱石
の知識になると、まるで夢のように散漫|極《きわ》まるものであった。 もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。 このお触れ書の中に「御進発」とあるは、行く行く将軍の出馬することもあるべき大坂城への進発をさす。尾張大納言を総督にする長州征討軍の進発をさす。 三人の庄....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
しく言う徳川慶喜征討の御制札の文面がどうあろうと――慶喜が大政を返上して置いて、大坂城へ引き取ったのは詐謀であると言われるようなことが、そもそも京都方の誤解であ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
やつがあり、この城地の存在に、特別の使命が課せられていると見るのが至当だ。太閤の大坂城から奪って来た名宝という名宝は、たいてい江戸までは持って行かないで、この尾....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
一枚ずつを与えたほかには、「行軍守城用、莫作《なすなかれ》尋常費」の銘を打たせて大坂城内へ秘蔵して置いた。 その後、改鋳のことがあって、四代以来、この分銅へ手....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
面はドコまでも柴田と共に亡びたということにして置いて、秀吉がひそかに伴い帰って、大坂城の奥ふかく隠して置いたという説がある。それは確かな説ではないが、浅井の二女....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
している次第でござりますることゆえ、恐れ多い願いではござりますが、向う三年の間、大坂城を拝借の儀お許し下さるまじきや、大坂城を三年間お貸し下されて、尾張藩眼前の....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
た能役者もあった。元大坂の吟味与力の陽明学者の大塩平八郎が飢民救済の大旆のもとに大坂城代を焼き打ちしたのはすなわちこの頃の事である。江戸三界、八百八町、どこを見....
首頂戴」より 著者:国枝史郎
ひっそり部屋内静かである。 と、俄に声をひそめ、総髪の武士いい出した。 「大坂城代土岐丹後守、東町奉行井上駿河守、西町奉行稲垣淡路守、この三人を抑えつけた....
加利福尼亜の宝島」より 著者:国枝史郎
うとは、ほんとに、夢のようでございますなあ」 「俺はあの時お止めしたものだ。……大坂城代も町奉行も我ら眷族の者どもを一網打尽に捕らえようとてぐすね引いて待ってい....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
なことを云ってごまかそうと大汗たらしたが、全然ダメだ。当時(一六一六年)はすでに大坂城落城、とっくに秀頼は死んでましたよ。それも支倉は知らなかったかも知れない。....
みやこ鳥」より 著者:佐藤垢石
である。口入れ屋の二階では、豆腐の糟に、臭い沢庵を幾日も食わせられた。 友人が大坂城の四師団に法務官をやっているのを思い出した。これを訪ねて、おずおずしながら....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
のもある。これは淀君と秀頼とになぞらえたもので、小坂部の怪談に託して豊臣滅亡後の大坂城をかいたのである。現に大坂城内には不入の間があって、そこには淀君の霊が生け....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
、京都町奉行扱いの「穢多青屋勤方の事」というのも、この年の制定であった。この頃の大坂城代支配下の地域を書き表わしたと思われる地図に、たとい二戸・三戸の場所までも....