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大垣
「大垣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大垣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「疑惑」より 著者:芥川竜之介
の講義を依頼されて、その間《あいだ》かれこれ一週間ばかり、岐阜県《ぎふけん》下の
大垣町《おおがきまち》へ滞在する事になった。元来地方有志なるものの難有《ありがた....
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
十里に余る道を、市九郎は、山野の別なく唯一息に馳せて、明くる日の昼下り、美濃国の
大垣在の浄願寺《じょうがんじ》に駆け込んだ。彼は、最初からこの寺を志してきたので....
「乱世」より 著者:菊池寛
、城下の町人に二千両の軍用金を命じて、一旦、悠々と軍隊を休めてから、南に下って、
大垣の南八里の高須藩へ殺到した。 高須の、松平|中務大輔の藩中も、錦旗の前には....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
秀、筒井順慶、長岡(後の細川)忠興等三万の兵を率いて、濃州へ打って出でた。先ず、
大垣の城主|氏家内膳正を囲んだが、一戦を交えずして降ったので、秀吉の大軍
大垣の城....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
以下従士千三百を率いて西下したのは、寛永十四年|極月二十八日であった。副使は美濃
大垣の城主戸田左門|氏鉄(此時年六十一)。明けて十五年の正月四日、有馬表に着陣し....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
である。 その時、二条城には幕府|麾下の遊撃隊を初め、例の新選組、見廻り組、津
大垣の兵など集っていたが、朝廷の処置に憤激止まず、また流言ありて、今にも薩長の兵....
「十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
に拮抗すべく、孤城若松に立て籠ってから丁度六日目のことだった。勿論、その討伐軍は
大垣、筑紫の両藩十万人を先鋒にして、錦旗にこの世の春を誇り乍ら、すでにもう江戸を....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
信州|松代の人、佐久間象山はその件に連座して獄に下ったとのうわさすらある。美濃の
大垣あたりに生まれた青年で、異国の学問に志し、遠く長崎の方へ出発したという人の話....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
へ飛脚が持って来る情報によると、十一月二十七日に中津川を出立した浪士らは加納藩や
大垣藩との衝突を避け、本曾街道の赤坂、垂井あたりの要処には彦根藩の出兵があると聞....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ばってるところもありますからね。」 「これから君の足で木曾街道を下って行ったら、
大垣あたりで総督の一行に追いつきゃしないか。」 「さあ」 「中津川の浅見君にはよ....
「歌行灯」より 著者:泉鏡花
危くってならないからね、今切は越せません。これから大泉原、員弁、阿下岐をかけて、
大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越で、北国筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
た。絶対の王者。呼べばすでに答へがきこえる。彼は聖処女の山師であつた。 彼らは
大垣の宿をでゝ、南宮山を眺めながら関ヶ原を歩いてゐた。たゞこの古戦場を見るために....
「くろん坊」より 著者:岡本綺堂
年の秋――わたしの叔父はその当時二十六歳であったが、江戸幕府の命令をうけて美濃の
大垣へ出張することになった。
大垣は戸田氏十万石の城下で、叔父は隠密の役目をうけた....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
ゃごちゃのものに追い立てられて彼は清水を急いで離れて行ったのであった。 美濃の
大垣の町から西北に当って、町へは一日のうちに往来出来る里程のところに在る檜木村の....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
、必ず楽観に弾ね上って来ます。 「おあん物語」という古書があります。家康の軍勢に
大垣城が取囲まれ、落城する砌の実状を、そのとき城中にあった、おあんという女の想い....