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大塔
「大塔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大塔の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
七宝塔四面縦貫十里なるを起し四部の妓人をして昼夜供養せしめたとあるから芸者附きの
大塔で、この塔今もあり癩病等の重患者貴賤を問わず百余人常に参籠《さんろう》す、身....
「雷峯塔物語」より 著者:田中貢太郎
ず、白蛇世に出ず 許宣は法海禅師の弟子となって雷峯塔の下におり、その塔を七層の
大塔にしたが、後、業を積んで坐化してしまった。朋輩の僧達は龕を買ってその骨を焼き、骨塔を雷峯の下に造ったのであった。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、然りとはいへども天帝の身には近づかで、修羅《しゅら》かれがために破らると……」
大塔宮《だいとうのみや》の昔をしのぶにはちょうどよい土地である。あの時分以来、こ....
「太平洋魔城」より 著者:海野十三
とたんに、十二隻の恐竜型潜水艦が、いっしょにとびだしたのである。まるで十二の
大塔がたばになってとびだしたような壮観であった。 そのとき太刀川は、水のあおり....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まくりものが、あたり一面に散らかしてあって、室の一隅の草刈籠《くさかりかご》は、
大塔宮《だいとうのみや》がただいまこの中から御脱出になったままのように、書き物が....
「蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
ず、白蛇世に出ず 許宣は法海禅師の弟子となって雷峰塔の下におり、その塔を七層の
大塔にしたが、後、業を積んで病がないのに坐化してしまった。朋輩の僧達は龕を買うて....
「作男・ゴーの名誉」より 著者:チェスタートンギルバート・キース
きくなったかと思われた。「と云う意味は宇宙の巨大なる悪魔が、今この瞬間、この城の
大塔の頂上に、百の衆を集めた様にふくれ、黙示録のそれのように咆哮しつつあろうやも....
「新西遊記」より 著者:久生十蘭
九月上旬から翌年の二月の中旬まで六カ月の間、西蔵の巡礼がネパールのカトマンドゥの
大塔へ参拝に来るということを聞いた。 ネパールはブータンの西隣り、西蔵と印度と....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
名勝詩集に宕快法印の作とて高野山十二景の中に雪中※柳の題のみあり本州旧跡志に※柳
大塔の東廿八町にあり昔し此所に大※ありて妖をなせり時に弘法持呪しければ※他所にう....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
柄であろうという川崎先生の鑑定でありました。それから、また一方に同氏の調べた中に
大塔宮護良親王の兜の前立が楠公の兜の前立と同様なものであろうという考証が付いたの....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
若かったが、なかなか腕が勝れ、仕事の激しい人でありました。明治二十三年の博覧会に
大塔宮を作って出品し好評であった。惜しいかな故人となられました)。それから私は顔....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
お立ちになられたは、いつか山伏風に身をやつされ、その上を蓑笠で蔽いあそばされた、
大塔宮護良親王様と、同じ姿の七人の家来、村上彦四郎義光や、平賀三郎や片岡八郎等で....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
の途中であった事を証明するものでなくて何であろう。同年の大安寺資財帳にも東西の両
大塔が無い。これも工事継続中であったのだ。この例を以て法隆寺をも見るべきものだと....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
バードルという人から紹介状を二通貰って来ました。その紹介状はネパールの摩訶菩提の
大塔のラマにあててあるのです。そのラマの名は忘れましたがその書面には書いてありま....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
た。『大乗院寺社雑事記』文明三年正月十八日の条に、『成恩寺殿御記』を引いて相国寺
大塔供養応永六年九月十五日の式のことを書いた中に、 左大臣内大臣以下 一人 布衣....