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「大安寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大安寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
連環記」より 著者:幸田露伴
、それから背痛を覚え、後また其を除いて貰って事無きを得たという談がある。日本でも大安寺の勝業上人が水観を成じた時同じく石を投げ入れられて、これは※が痛んだという....
雪たたき」より 著者:幸田露伴
天正の頃|呂宋に往来して呂宋助左衛門と云われ、巨富を擁して、美邸を造り、其死後に大安寺となしたる者の如きも亦是れ納屋衆であった。永禄年中三好家の堺を領せる時は、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
きているように巧く描けているという意味じゃありませんぜ。大覚寺の松は舞っている、大安寺の藤は遊んでいる、永納の証ある『鷹』は見ましたけれど、毛利家にあるという『....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
ところ行信僧都や、鑑真和上のような肖像の神品となる。 奈良朝後期には唐招提寺や大安寺のような新様の形式が大陸の影響下に生れ、それが又日本美に一段の奥深さを加え....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
。 それでバラモン僧正が来ると直ぐ僧正に任ぜられて、時服を賜い荘田を与えられて大安寺に寓せしめられた。大仏が立つ時になると、バラモン僧正は開眼供養の大導師を命....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
は、当時なお七堂伽藍造営の途中であった事を証明するものでなくて何であろう。同年の大安寺資財帳にも東西の両大塔が無い。これも工事継続中であったのだ。この例を以て法....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
室に佇立したわたくしは、今さら、観音像の多いのに驚いた。 聖林寺観音の左右には大安寺の不空羂索観音や楊柳観音が立っている。それと背中合わせにわが百済観音が、縹....
私本太平記」より 著者:吉川英治
護は、あいさつとして、通例、こういう礼を執ってくる。 「久しくお会いしてないが、大安寺殿にも、お達者かの」 「いえ、父も早や年で」と、客はややくつろいで「――こ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たッた今、攻めつぶしたとの捷報を早打ちしてきた。 その勢いを駆ッて、陸上軍は、大安寺(岡山市の西)の松田一族を打ち、すすんで三石城(船坂峠)に突ッかけてゆく予....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
沢庵が三十歳の頃に始まっている。当時の沢庵は、未来の鋒鋩を蔵しつつ、まだ泉州堺|大安寺の文西西堂について、学徳の切磋に孜々たる頃であった。 (彼が法業の功を認め....