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大宝
「大宝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大宝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
》がひたいをあつめてその趣向を練っていると、ここに又ひとつの新しい材料がふえた。
大宝寺町の大工庄蔵の弟子で六三郎《ろくさぶろう》という今年十九の若者が、南の新屋....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
りその頃のことだった。 また、その日清戦争から帰って来てからは、一里ばかりある
大宝寺という、ほんとうの実弾射撃をやる射的場へ連れて行った。そしてそこでは、ビュ....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
で、他の亜細亜協会の雑誌よりもヨリ多く重要なる論文に富み、東洋殊に印度学の研究の
大宝庫として貴重されておる。其価は金一千二百円で、雑誌としては甚だ不廉のようであ....
「少年探偵長」より 著者:海野十三
、うまくいかなかった。そして彼は、残念に思いながら死んでしまった。だから、世界的
大宝物は、まだ発見されずにもとのところに保存されている―― まず、こんな風に推....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
ど、私はもう甘くなかった。なんだい、継母じゃないかという眼で玉子を見て、そして、
大宝寺小学校へ来年はいるという年ごろの新次を掴えて、お前は継子だぞと言って聴かせ....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
心を飜しぬ。唯々宗祐の関城を根拠として、伊佐城主の伊達行親、真壁城主の真壁幹重、
大宝城主の下妻政泰、駒城主の中御門実寛だけが南朝に属せしが、興国四年十一月、高師....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
遷化してその屍を焼いたのが、我が国火葬の初めだとある。その後僅かに中一年を措いて
大宝二年には、持統天皇は万乗の尊い御身を以て、御遺骸を荼毘に附せられ給い、爾後歴....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
て日本と称したとあるのである。ここにおいてさらに我が続日本紀を按ずるに、文武天皇
大宝二年五月、遣唐持節使|粟田真人唐に入る。真人初め唐に至るや、「人あり来り問う....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
これらと別物の如くに考えられてはいるが、それらの中には同じ護法」とあって、これは
大宝元年綸旨によって許されたとある。これらの文書が附会もとより取るに足らぬもので....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
化を輸入するために、先ず漢文を移植しなければならなかった。近江朝廷の令にしても、
大宝律令にしても漢文で記されねばならなかったし、詔勅も上奏も太政官符も戸籍も歴史....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
羽でも仙北三郡の地方は、比較的後まで夷俘や俘囚の残存した場所であったから、かの「
大宝令」の規定に見ゆるがごとく、人居は常に城堡内に保護せられて、ただ農時にのみ出....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
一衣一笠、身を雲水に委して禅行を積むことは真の仏徒の行為と認められた。されば我が
大宝令にも、僧尼乞食の規定があり、「霊異記」には真の修行者が加賀で浮浪の長からそ....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
う筈はない。仏法が我が国に伝わり、殺生を忌み、血腥い事を嫌う様になっては、すでに
大宝令にも斎の間臨時に肉を避けるという事もあったけれども、それはただ臨時の禁であ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
しながら、何を以てその境界とするかについては、時代によってもとより一様ではない。
大宝令には五色の賤民の名目が掲げられて、良民との関係がかれこれ規定せられているが....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
至ったについては、けだしやむをえぬことであった。 法師に関する厳格なる規定は、
大宝令中の僧尼令に詳しくみえている。彼らはもちろん酒を飲み、肉を喰い、及び五辛を....