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大宰
「大宰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大宰の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
起して、杖を衝いて歩くようになった。筑後国では久留米を五日尋ねた。筑前国では先ず
大宰府天満宮に参詣して祈願を籠め、博多、福岡に二日いて、豊前国|小倉から舟に乗っ....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
ドイツ帝国をもって最良の講究所となしたるは何人も知るところなり。時あたかもドイツ
大宰相ビスマルク公が東洋貿易策に心を傾け、汽船会社を保護して定期航海を奨励し、も....
「光と風と夢」より 著者:中島敦
街の俗物共」の軽蔑者《けいべつしゃ》たるスティヴンスンのこととて、(曾《かつ》て
大宰相グラッドストーンが「宝島」の初版を求めて古本屋を漁《あさ》っていると聞いた....
「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」より 著者:宮本百合子
....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
に、一時これを廃して筑紫人を用いしが、辺防たちまちにして荒廃せり。天平神護二年の
大宰府の「上言」に、 賊を防ぎ辺を戍るはもと東国の軍を資る、衆を持し威を宣する....
「明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
構な時勢である。が、坪内君が『桐一葉』を書いた時は団十郎が羅馬法王で、桜痴居士が
大宰相で、黙阿弥劇が憲法となってる大専制国であった。この間に立って論難批評したり....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
て、長門にとどまった。 すると月の二十五日。 筑紫の少弐貞経の子、頼尚兄弟が
大宰府から一族五百余人をひきつれて、 「筑紫びらきの御案内に」 と、迎えに来た....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
は、陸上の物見以上に、気が気でないべつな不安もあった。 彼は、さきに。 父の
大宰ノ少弐|妙恵から命ぜられて、弟の頼澄、一子の氏鶴丸、ほか郎党三百をひきつれ、....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
有力な味方はある。殊に、清盛と太宰府との縁は一朝一夕のものではない。壮年期には、
大宰大弐という官職にもついていたし、晩年には日宋貿易の上からも、彼と九州とは、唇....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
。遊女をウカレメというのも浮浪女の義で、「万葉集」には「遊行女婦」と書いてある。
大宰帥大伴旅人や、越中守大伴家持などと歌の贈答をしたという、名誉の遊行女婦がすで....