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大永
「大永〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大永の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
と。 (武家義理物語、巻一の五、死なば同じ浪枕とや) 女賊 後柏原天皇|
大永年間、陸奥一円にかくれなき瀬越の何がしという大賊、仙台|名取川の上流、笹谷峠....
「悟浄出世」より 著者:中島敦
若者が叫んでいた。 「我々の短い生涯《しょうがい》が、その前とあととに続く無限の
大永劫《だいえいごう》の中に没入していることを思え。我々の住む狭い空間が、我々の....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
の七年八月に、摂津、河内、山城、大和に大地震があって、摂津には海嘯の難があった。
大永五年八月には鎌倉に、弘治元年八月には会津に、天正六年十月には三河に、同十三年....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
文亀四年に薨ぜられたが、その後はその邸もあるいは実隆の差配に属したのかも知れぬ。
大永七年に花山家からして借入れを申込まれた時に、実隆は今仁和寺宮の衆が宿舎として....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
身者に伝授が流れて行ったのは尤もな次第であった。 一方、宗祇が歿した後、永正、
大永から享禄・天文にかけての約三十数年に、猪苗代兼載・後柏原天皇・冷泉政為・牡丹....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
得ない例ではない。 泉州堺ノ合戦にも、同じようなことはあった。 一五二六年(
大永六年)のクリスマスには、堺市の内外で長年、対戦中の三好党と松永党の両軍が、ま....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
到るを待っている。その勢力は微少だともいえるが、尼子一族と毛利家との闘争は、実に
大永年間、毛利元就が尼子経久領を奪取して以来のもので、以後五十余年の長きあいだを....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
くてそのキヨメ等が一体にエタと呼ばれる様になったのは、鎌倉時代以来の事であった。
大永三年に鶴岡八幡宮の別当法眼良能から、山ノ内・藤沢の長吏に与えた文書にも、「八....