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大牢
「大牢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大牢の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
内をいたわりいたわり、越中橋から江戸橋、大伝馬町、小伝馬町と、ひた急ぎに伝馬町の
大牢《おおろう》へ急ぎました。 2 一番牢、二番牢といって、三番牢は....
「私の個人主義」より 著者:夏目漱石
のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど
大牢の美味に飽《あ》いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではな....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
れ千万なその姿は、おりからほのかにさしはじめた月明りの中を、一味ともども伝馬町の
大牢の方へひかれて行きました。 「笑止な奴よのう! ――主水之介!」 「はッ」 ....
「縮図」より 著者:徳田秋声
ろで、ちょうど大門通りへぬける路地のなかにあった。幕府の末期までこの辺に伝馬町の
大牢とともに芳原があったので、芳町といい大門通りというのも、それに因んだものだと....
「雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
重ね、とうとうほんものの泥棒|渡世《とせい》をかせいで、伝馬町《てんまちょう》の
大牢でも顔を売り、遂《つい》に、三宅島《みやけじま》に送られ、そこを破ってからは....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
の伝馬旅舎として縁のふかい名であり、うまや新道の名も、厩《うまや》も、小伝馬町|
大牢《たいろう》の御用のようにばかり書きましたが、それも幼時の感じを申述《もうし....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
んま》町、鉄砲町、石町と、新開の大通りで街の品位はずっと低く、徳川時代の伝馬町の
大牢の跡も原っぱで残っていた。其処《そこ》には、弘法大師《こうぼうだいし》と円光....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
ようになった。あたしたちが牢屋《ろうや》の原《はら》とよぶ、以前《もと》の伝馬町
大牢のあった後の町から、夕方になると、蝙蝠《こうもり》におくられて、日和下駄《ひ....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
しんかい》の町だけに、神田区上町との間に流れる溝《どぶ》川の河岸についた、もとの
大牢の裏手の方は淋《さび》しいパラッとした町で、呆《ほう》けたような空気だった。....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
になった。」 「だからとっておおきになればいいのに。」 それは小伝馬町に面した
大牢《たいろう》の一角を、無償で父にくれようといった当時のことを母が詰《なじ》っ....
「鼠坂」より 著者:森鴎外
いる。 通訳あがりの男は、何か思い出して舌舐ずりをした。「お蔭で我々が久し振に
大牢の味いに有り附いたのだ。酒は幾らでも飲ませてくれたし、あの時位僕は愉快だった....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
ょう》の牢屋敷。 三千五百坪の地内に揚座敷《あがりざしき》、揚屋《あがりや》、
大牢《おおろう》、二間半《にけんはん》(無宿牢)、百姓牢、女牢、と棟《むね》をわ....
「三国志」より 著者:吉川英治
説に弱められるものではなかった。 彼は一日、成都郊外にある先帝の霊廟に詣でて、
大牢の祭をそなえ、涙を流して、何事か久しく祈念していた。 彼が玄徳の霊にたいし....