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大社
「大社〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大社の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「思い出の記」より 著者:小泉節子
度を見せて上げたいものだ』と申しました。 二十四年の夏休みに、西田さんと杵築の
大社へ参詣致しました。ついた翌日、私にも直ぐ来てくれと手紙をくれましたので、その....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
入れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家がわが国の
大社寺の実に完備していることを認め、これを称揚したのは全くほんの最近のことである....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
瘤悪尉」 「鼻瘤悪尉? 厭な名だなあ」甚太郎は愉快そうに笑い出した。 「玉の井や
大社を舞う時にね、着けなければならない面なのよ」 「姉さん、姉さん、この面は?」....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
ては、北の精進ホテル以外において、もっとも景勝の地を占めたものであろう。池は浅間
大社のうしろの熔岩塊、神立山の麓から噴き出る水がたたえたもので、社の神橋の下をす....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
明治神宮などがそれでございます。又他の一つは活神様を御祭神と致したもので、出雲の
大社、鹿島神宮、霧島神宮等がそれでございます。ただし、いかにすぐれた人霊が御本体....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
なのがあったわ。学校の図書館で見たんだけれど」 「出雲のお国なんていうのは、元は
大社の巫女でしょう。巫女というものは、昔から世間の檜舞台に出る因縁があるような気....
「馬妖記」より 著者:岡本綺堂
の宝物と記録とを見せてもらってゆく人もあったということである。わたしも先年、出雲
大社に参拝の帰路、津山の在に神原君の家を訪うて、その品々をみせて貰うことが出来た....
「迷信解」より 著者:井上円了
。他所にもこの類の妄説をいい立て、悪事を行うこといろいろありと聞く。例えば、出雲
大社の竜灯、備中|吉備津の宮の釜鳴り等、鬼神の威光に託して、巫覡等の愚民を欺き、....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
ち、地主の民族の義ではなかろうか。『栖』の字が『スミ』の仮名に使われた事は、出雲
大社なる天日隅宮を、天日栖宮とも書いてあるので察せられる。この点から云えば、『ク....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
|手長比売神社、同国石田郡|天手長男神社・天手長比売神社があって、後の二社は名神
大社と仰がれ、その手長男神社は同国一の宮ともなっている。祭神は一宮記に、天思兼命....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
して、これのみは方柱となり、他の柱と或る差別の存在が認められるもので、これを出雲
大社の構造に比すれば、けだし心の御柱というものに相当すると考えられる。出雲
大社は....
「古事記」より 著者:太安万侶
ぶり》です。 國讓り ――出雲の神が、託宣によつて國を讓つたことを語る。出雲
大社の鎭坐縁起を、政治的に解釋したものと考えられる。―― かように天若日子....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
に天照大神は伊勢の五十鈴川上に伊勢皇大神宮として鎮座ましまし、倭大国魂神は、官幣
大社|大和神社として、今も大和に鎮座になっております。すなわち元は天津神・国津神....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
近に屠者の住むを禁じたとの事もあったけれども、それも単に御祖神社だけの事で、他の
大社にはそれが見えぬ。また御祖神社にしたところで、その人が職業を改め、屠者でなく....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
しば法師原と呼んでいる。東寺の散所法師や、祇園の犬神人も下司法師原の徒で、けだし
大社大寺には多く付属していたのであろう。 城塞修築等の土木工事にも彼らは使役せ....