大葬[語句情報] » 大葬

「大葬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大葬の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
こころ」より 著者:夏目漱石
義を盛り得たような心持がしたのです。 それから約一カ月ほど経《た》ちました。御大葬《ごたいそう》の夜私はいつもの通り書斎に坐《すわ》って、相図《あいず》の号砲....
初秋の一日」より 著者:夏目漱石
日本人が七時二十分の上り列車を待つべく無言のまま徘徊《はいかい》していた。 御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋《うず》まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
が鳴く。隣の林にはガチャ/\が鳴く。 寂しい涼しい初秋の夜。 御大葬の夜 明治天皇|大葬の夜である。 七時五十分、母屋の六畳を掃いて、清い....
鴎外・芥川・菊池の歴史小説」より 著者:宮本百合子
斎藤茂吉氏の解説によると、この一作のかかれた動機は、その年九月十三日明治大帝の御大葬にあたって乃木大将夫妻の殉死があった。夜半青山の御大葬式場から退出しての帰途....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
よりも盛大な参会者弔問客にみたされ、キモの小さい人間どもをちぢみあがらせるぐらい大葬儀の栄をうけるであろう、という意の由である。果して然りや、真偽の程はうけあわ....
地上」より 著者:島田清次郎
、黒い章のついた提灯が軒並に吊されてあった。この夜の午前零時を合図に行なわれた御大葬の式の御亡骸を遥かに見送り奉るため、一般市民は公園の広場に集まるのであった。....
孔子」より 著者:和辻哲郎
んか。且つ予は、その臣の手に死なんよりは、無寧二、三子の手に死なんか。且予|縦い大葬を得ずとも、予道路に死なんや。(子罕、一二) この二つの場合、子路の目ざした....
古事記」より 著者:武田祐吉
にして云えば、天皇の歴史である。歴代天皇が、次々に帝位を繼承された次第は、天皇の大葬の時に、誄詞《しのひこと》として唱えられていた。その唱えられる詞そのままでは....
古事記」より 著者:太安万侶
お隱れになりました。そこで急使を上せて朝廷に申し上げました。 白鳥の陵 ――大葬に歌われる歌曲を中心としている。白鳥には、神靈を感じている。―― ここ....
三国志」より 著者:吉川英治
に還ってきたが、それは柩の中に冷たい空骸となって戻られたのであった。 京師では大葬が執行われた。 けれど、何進は、 「病中――」と称して、宮中へも世間へも顔....
三国志」より 著者:吉川英治
聞くほか、地に音曲の声はなかった。 葬儀委員長は、孫権の叔父|孫静があたって、大葬の式は七日間にわたってとり行われた。 孫権は喪にこもって、ふかく兄の死をい....
三国志」より 著者:吉川英治
あった。 呉侯は、呂蒙の死に、万斛の涙をそそいで、爵を贈り、棺槨をそなえ、その大葬を手厚くとり行った後、 「建業から呂覇を呼べ」と、いいつけた。 呂覇は呂蒙....
三国志」より 著者:吉川英治
彼は国の元老であり帝族の一人である。曹叡は、勅して厚く葬らせた。すると、その大葬を機として、呉の抑えとして、南の境にいた司馬懿仲達が取るものも取りあえず都へ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
代の業は終った。そしてその土墳は、あとに残った旧臣|后妃の涙に濡れた。 十月、大葬の営みがすむと、後村上の即位も、かたちばかり執りおこなわれた。 もしこうい....