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「大覚寺統〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大覚寺統の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
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中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
詩、漢詩と和歌との融合 十一 為家 十二 二条・京極・冷泉三家の分立、持明院統と大覚寺統、分立の意義、為世歌論の保守主義、為兼歌論の新鮮さ、『玉葉』の歌と『新後....
私本太平記」より 著者:吉川英治
次に。――もう一つの大きな反後醍醐派は、持明院統とよぶものだった。 後醍醐は、大覚寺統である。――やがての「南朝」「北朝」の対立は、この二|統のもつれが遠因を....
私本太平記」より 著者:吉川英治
のではない。 幕府が憎むものは、幕府を倒さではやまじ、としている後醍醐中心の“大覚寺統”一派にあるのみで、おなじ皇室の“持明院統”までを、抹殺しようとするので....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。――おん父は持明院統の天皇|後深草であり、つまり皇女でおわしたが――後宇多は、大覚寺統のお立場もわすれ、熱烈な想いをその君へ懸けたとみられる。 事の秘密は「....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、謁見の庭、夜の賜酒にも、道誉は加えられていた。 何しろ、これまでは、いわゆる大覚寺統の――後醍醐方の公卿と忌まれて――逼塞していた公卿ばらも、みな旧衣冠を新....
私本太平記」より 著者:吉川英治
資名と行き会えないのか。小右京の行方もさがし出せずにいるのか。あるいは、後醍醐の大覚寺統の警戒の目がきびしく、後伏見、花園、光厳のどなたにも近づきまいらすことが....
私本太平記」より 著者:吉川英治
余りな御偏見でしょう。――順なれば、いまのみかど後醍醐は、御位にはないはずです。大覚寺統と持明院統と、御位は一代がわりに更迭の約束でした。それを後醍醐はあえてお....
私本太平記」より 著者:吉川英治
におすえ申しあげたいものと、いまからその案などを持しております。――持明院統と、大覚寺統と、相互から出て交代に御位に即く――という、あの皇室の御法則を正しく践む....