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大賢
「大賢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大賢の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
である。 太田|資正謙信を評して、「謙信公のお人となりを見申すに十にして八つは
大賢人、その二つは大悪人ならん。怒りに乗じて為したまうこと、多くは僻事なり。これ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
の申し開き、胸にこたえてよくわかったが、心冴えぬは紋の不始末じゃ。女の表裏二心は
大賢をも苦しむると申すが、尤もじゃのう。ふと、三河ながら、三河ながらと吹きおった....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
半ば口を開けている無心な寝顔に、七刻《ななつ》さがりの陽射しがカッと躍っている。
大賢大愚《たいけんたいぐ》、まことに小児《ちびこ》のごとき蒲生泰軒であった。
....
「この握りめし」より 著者:岸田国士
うだよ」 「あれが大家の顔かね、あの顔が……。よだれ垂らさんのが不思議さね」 「
大賢は大愚に似たりか。天才は気狂いと紙一重なんだよ、信濃屋さん」 「そうかも知れ....
「狂女と犬」より 著者:小酒井不木
の種の犬だったと思って居ります。私は白を見るたびに、聖人賢人の姿を聯想しました。
大賢は愚なるがごとしとかいいますが、白も見たところはのっそりして居たのであります....
「三国志」より 著者:吉川英治
、総大将の張角のことは、そうよばない。張角と、その二人の弟に向ってだけは、特に、
大賢良師、張角 天公将軍、張梁 地公将軍、張宝 というように尊称していた。....
「三国志」より 著者:吉川英治
」 と許したほどの人物、荀※もその時に抱えられた。 荀※だの、野に隠れていた
大賢人郭嘉だの、みな礼を篤うしたので、曹操の周囲には、偉材が綺羅星のごとく揃った....
「三国志」より 著者:吉川英治
狂人か、生命知らずの馬鹿者か、それとも、天が人をしていわしめるため、ここへ降した
大賢か――とにかく推しはかれないものがあった。 曹操の面は、蒼白になっている。....
「三国志」より 著者:吉川英治
―彼方、襄陽の街を西へへだつこと二十里、隆中という一村落があります。そこに一人の
大賢人がいます。――君よ。いたずらなお嘆きをやめて、ぜひぜひこの人をお訪ねなさい....
「三国志」より 著者:吉川英治
、 「主従かための印ばかりに」と、孔明へ贈った。 孔明は辞して受けなかったが、
大賢を聘すには礼儀もある。自分の志ばかりの物だからといわれて、 「では、有難く頂....
「三国志」より 著者:吉川英治
。玄徳は、報告を聞き、またその書簡を見て、非常にびっくりした。 「ああ、あやうく
大賢人を失うところだった。人は、風貌ばかりでは分らない……」 そこへ四郡の巡視....