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大輔
「大輔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大輔の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
の細かな費用の計算を始めた。 三 殿中で高家月番、畠山民部
大輔へ、 「今度の勅使饗応の費用の見積りですが、ちょっとお目通しを」といって、内....
「乱世」より 著者:菊池寛
を休めてから、南に下って、大垣の南八里の高須藩へ殺到した。 高須の、松平|中務
大輔の藩中も、錦旗の前には、目が眩んでしまった。赤報隊は、そこでも一万両に近い軍....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
老である。応仁の乱の時、斯波家も両方に分れたとき、朝倉は宗家の義廉に叛いた治郎|
大輔義敏にくっついた。そして謀計を廻らして義敏から越前の守護職をゆずらせ、越前の....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
で居った。氏輝に予が無かったので二十歳の義元を還俗させて家督を譲った。今川次郎|
大輔義元である。処が此時横槍を入れたのが義元の次兄で、花倉の寺主|良真である。良....
「死者の書」より 著者:折口信夫
ばならぬ時の、迫って居るような気がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔から、
大輔に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。今年五月に....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
ど嬉しそうな彼をかつて見たことがない。 かくて我々数人の所有にすぎなかつた伊藤
大輔という名まえはその夜から世間の有に帰した。 二十一歳の五月に私は入営をした....
「雑文的雑文」より 著者:伊丹万作
関するかぎり、この定評には黙つて頭を下げても差支えないが、他の人々、たとえば伊藤
大輔氏にしろ衣笠貞之助氏にしろ、また蒲田の島津保次郎氏にしろトーキー監督としてす....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
時、親朝は評定衆、兼引付頭人となりて国政に参与したり。後に下野守護となり、大蔵権
大輔となり、従四位を授けられ、修理権太夫にまでも進めり。思ふに関東の一大豪族、武....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
う。(無論『八犬伝』の光輝はソンナ大向うの半畳で曇らされるのではない。) 金碗
大輔が八房もろとも伏姫をも二つ玉で撃留めたのはこの長物語の序開きをするセラエヴォ....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
、京都へ攻めのぼるべき気勢を示した。 と、その時二度目の討手として、宇都宮治部
大輔公綱が、向い来るという取沙汰が聞えて来た。 * 七月××日の....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
」帝展第七回出品 昭和 三年 「草紙洗」御大典記念御用画 同 四年 「伊勢
大輔」「新螢」伊太利日本画展出品 同 五年 「春秋二曲屏風一双」高松宮家御用....
「帝展の美人画」より 著者:上村松園
月一杯はかからずに仕上がるでしょう。 伊太利展の方は二尺五寸幅の横物に「伊勢の
大輔」を描いています。こちらは昨年御大典の御用画に描いた「草紙洗ひ」の小町と対に....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
の矢先きに父上の御病気はまことに心もとない。いや、まだそればかりでない、堀口兵部
大輔も居山の城を打って出たという注進もある。」 こういう軍ばなしを権右衛門はも....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
し庄内地方では、すでに佐々木君も引いておられたように、ふつうにこれを藩祖酒井宮内
大輔忠勝に関係して説明している。忠勝入国の際検地が案外寛大であったので、農民その....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
一八 実氏 一七 定家 一五 殷富門院
大輔 一五 ┌×貫之 一四┐ │×和泉式部 一四│....