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「大隈〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大隈の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
星座」より 著者:有島武郎
田という所は田圃《たんぼ》の多いところだ。名詮自称《みょうせんじしょう》だ。……大隈の大きな屋敷を外から見た。W専門学校に着いた……他の奇なし。 「矢部さんは円....
地球を狙う者」より 著者:海野十三
すか」 「いえ、いえ、ちがうわ」とサチ子は、いよいよ僕の腕をかかえこみながら、「大隈さん、その死骸というのは、解剖したように、手だの足だのがバラバラになっている....
近時政論考」より 著者:陸羯南
じめ副島、江藤、後藤、板垣の諸参議を残し、ほとんど国権派の世となれり。勝、大木、大隈の諸政事家はこの間もっぱらその主任の政に鞅掌し、廟堂の大議は多くかの人々をも....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
間は、まあ大がいそんなものと見ていい。昔僕は、ドイツの社会党首領ベーベルなぞは、大隈の少し毛のはえたくらいのものだろうと言ったことがあるが、今ではもっともっと社....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
ていた。友之助は無事に役所へ出勤していた。この年の十月には政府に大更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も....
有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
いた。友之助は無事に役所へ出勤していた。この年の十月には政府に大|更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も....
赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
らしく貴族的で、自動車が今日のように発達し猛威を揮わなかった頃に、日本に於ても故大隈公だの伊藤公だのが乗り廻していたようなああいう形の馬車なのだ。その馬車が実に....
支那の思出」より 著者:国枝史郎
町の下宿にいた頃、孫逸仙も、同志の黄興や宋教仁と共に、矢張り鶴巻町の旅舎にいて、大隈侯邸などへ出入していた姿を見かけたことがあるからである。 さて、黙祷を終え....
役者の顔」より 著者:木村荘八
の断末魔のように、妙に「実感的」に見えたことを否めません。さすがに菊五郎の知盛の大隈取りは、その顔のわくにぴったりと嵌って、白装束や薙刀も生きた、舞台一杯のもの....
ハイカラ考」より 著者:木村荘八
で、東下りなさったのであったが、明治四年になると散髪令一下されて、参議連の木戸、大隈、伊藤等の頭上から一瞬にしてちょん髷がなくなり、つづいて日本中で切り下された....
三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
ても若い沼南が島田家に寄食していた時、懐われて縁組した恋婿であったそうだ。沼南が大隈参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部|権大書記官の栄位を弊履の....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
安んじ、一は早くから仕官を辞して、功名栄達を白眼冷笑していた。殊に古川は留学前は大隈侯の書生であって、義弟西源四郎は伊藤公の知遇を受けて終に公の※馬となった浅か....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
郎、大山郁夫氏等が教授をやめられた年の九月であるが、早稲田を志望したのは早稲田は大隈重信侯が、時の官僚の軍閥に反抗して学問の独立、研究の自由を目標として創立した....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
村君の持っている鉄棒が問題になり乱闘に発展した。 やがて不気味なふん囲気の中に大隈侯銅像前で学生大会が開かれ、私が「自由の学府早稲田大学が軍閥官僚に利用されて....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
を振り、私達にあの歌詞(相馬御風氏作)と曲譜とを教えたのであったが、記念祭の当日大隈故侯の銅像除幕式をはじめ色々の祝典が催され、夜には盛んな提灯行列が行われて、....