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大雅
「大雅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大雅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「一夕話」より 著者:芥川竜之介
るまい。彼等は芭蕉《ばしょう》を理解している。レオ・トルストイを理解している。池
大雅《いけのたいが》を理解している。武者小路実篤《むしゃのこうじさねあつ》を理解....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
じないのは幼い子供に対する時か、――或は、犬猫に対する時だけである。
池
大雅
「
大雅《たいが》は余程|呑気《のんき》な人で、世情に疎かった事は、其室|....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
のときのことなど心配すると、今の人はおかしがって笑い出すかも知れないが、むかし池
大雅は、旅行のとき、宿場宿場でよく馬に乗ることがある。そんな時に落馬の心がけがな....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
ある。モデルを見ずに描いたというミケランジェロはどれだけ多くの死体を研究したか、
大雅堂はどれだけ多くの山水を巡礼して歩いたかを知らなくてはならぬ。 工房でのみ....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も
大雅堂も竹田も鉄斎も知らないのである。況んや、秦蔵六だの竹源斎師など名前すら聞い....
「屏風祭」より 著者:上村松園
だくのである。 永徳とか、宗達とか、雪舟とか、芦雪だとか、元信だとか、あるいは
大雅堂、応挙とか――。とにかく国宝級のものもずいぶんとあって、それを一枚うつすの....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
遒勁なる筆力は椿年よりはむしろ隆古から得たのであろう。が、師伝よりは覚猷、蕪村、
大雅、巣兆等の豪放洒落な画風を学んで得る処が多かったのは一見直ちに認められる。 ....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
自分に罪を犯した不義者を心から悔悛めさせるための修養書を買って与えたという沼南の
大雅量は普通人には真似ても出来ない襟度だと心から嘆服した。 「全く君子だ。古聖賢....
「河豚は毒魚か」より 著者:北大路魯山人
芳崖、雅邦でもない。崋山、竹田、木米でもない。呉春あるいは応挙か。ノー。しからば
大雅か蕪村か玉堂か。まだまだ。では光琳か宗達か。なかなか。では元信ではどうだ、又....
「良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
ぬことも察せられる。良寛様に近い年代に、美術的、芸術的に著しき作品を遺したものは
大雅である。その
大雅も真面目に書かれた細字は、十分良寛様と共通するものであるので....
「六日月」より 著者:岩本素白
板、京洛飴、或はかまとした角の茶亭の白けた灯を右に見て、高台寺の方へ歩いて行く。
大雅堂跡の碑のある辺は、木立の蔭で一層暗い。此処まで来て、今までつい気がつかなか....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
は浅ましい。堕落しきってるような気がする。 芸術とはあんなものでない。大乗の、
大雅なものだ。 この空を、この雲を、この風を、この海を、この光耀を見たがいい。....
「四つの都」より 著者:織田作之助
小谷初枝 辻節子 尾形清子 蜂谷十吉 夜店出しのおっさん 船山上等兵 江藤医学士
大雅堂主人 標札屋の老人 他に、国民学校訓導、看護婦、子供達。 時――現代 大阪....
「洛北深泥池の蓴菜」より 著者:北大路魯山人
のようにつくり、盥には人が乗って棒先で採るのである。ちょっと面白い風習だ。彼の池
大雅が捨てられたのは、この池の辺端である。 (昭和七年)....
「料理一夕話」より 著者:北大路魯山人
が、仕事がないというので、僕も書画道楽だし、いっしょに東仲通りに美術店を開いた。
大雅堂という店名のね。そのうち常連も出来て、毎日うなぎとかなんとか料理がはいる。....