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「天和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

天和の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
から與右衞門が乗掛って、砂で息を窒《と》めて殺したと云うが本説だと申す事、また祐天和尚《ゆうてんおしょう》が其の頃|脩行中《しゅぎょうちゅう》の事でございますか....
吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
の勅使の御馳走役を命ぜられたが、それについて相談がある」 「はい」 「この前――天和三年か、勤めたときには、いくら入費がかかったか?」 「ええ……」二人は、首を....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
明らかだ。 但し、これまでの名称は踊子とて、これは寛文頃京坂に始まり、江戸では天和貞享の頃からで、その時までは白拍子、遊女などに酒興を幇けさしていたのを、やが....
鵞鳥」より 著者:幸田露伴
夫の様子で、妻はそう感じたのであった。 永年連添う間には、何家でも夫婦の間に晴天和風ばかりは無い。夫が妻に対して随分強い不満を抱くことも有り、妻が夫に対して口....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
いう人が、一日一万句を江戸でよんだことに対抗したものであった。散文を書いたのは、天和二年四十二歳の時で、『一代男』がそれである。 幸い私は西鶴の著書があったの....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
一目眇の小さな媼であったが、五、六種の色の粉末を袋に持っていて人だかりの前で、祐天和尚だの、信田の森だの、安珍清姫だの、観世音霊験記だのを、物語をしながら上下左....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
です。まったく見なければ分りません。 この前に三原山が海岸まで押し流した熔岩は天和四年から元禄三年の七年間にわたる噴出によるのだそうで、二百六十年ほど昔のこと....
怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
であった。 寛文十二年二月二十一日晩方、高田殿は逝去した。天徳寺に之を葬った。天和元年には、家断絶。世にいう越前家の本系は全く滅亡に及んだのだ。 滝之助の怨恨。地下に初めて晴れしや如何に。....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
らだろう。それと同様、『蜘蛛の糸巻』に馬琴を出藍の才子と称し、「読本といふもの、天和の西鶴に起り、自笑・其磧、宝永正徳に鳴りしが馬琴には三舎すべし」と、京伝側を....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
い。尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名が見えるから天和貞享頃には最う上方|人に賞翫されていたものと見える。江戸に渡ったのはいつ頃か....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
山東京伝《さんとうきょうでん》はその著『骨董集《こっとうしゅう》』において延宝|天和《てんな》の頃《ころ》既に俳優|坊主小兵衛《ぼうずこへえ》を描ける一枚絵あり....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
手を合わさぬばかりにして頼みに来るものですからどうもしようがない。ラサのシナ人の天和堂という薬舗へ行って薬を買うて来て病気に対する相当の薬を遣りますと、先方の信....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
御法事御供養をなさい、お金はかゝりますが、仕様が有りません、藤沢寺の遊行上人か祐天和尚でも弘法大師でも有難い坊さんを大勢頼んで来て、大法事か何かして、花魁が成仏....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
。 本。 著者黒川道祐が何に拠ってこの言をなしたかは今これを知る事が出来ぬが、天和・貞享の古えに於いて、彼がかく判然たる記事をなすべく、確かな伝説のあったもの....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
ませんでした。現に京都の悲田院の被収容者たる、いわゆる「非人」のことを、徳川時代天和頃にできた、『雍州府志』という本には、立派に「悲田院の穢多」と書いてあります....