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天平宝字
「天平宝字〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
天平宝字の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
ころで、この般若の真言について想い起こすことは、今から千百八十九年の昔、すなわち
天平宝字二年の八月に下し賜わった淳仁天皇の詔勅であります。その勅語の中にこう仰せ....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
メッキリと書き詰めた漢文の上を形式ばかり眼を通して、その結末にある、
大倭朝
天平宝字三|年癸亥五|月於
大唐翰林学士芳九連二|女芬 識
という文字を二....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
く、多く人家を壊ったが、これは明治二十七年の濃尾の地震を思い合わせるものがある。
天平宝字六年五月になって、また美濃をはじめ、飛騨、信濃の諸国に地震があった。天平....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を飲むと侍れば、唐土にもかゝる事の侍るにや」。昔は子の日の御宴あり、『万葉集』に
天平宝字二年春正月三日侍従、竪子《じゅし》、王臣等を召し玉帚《たまばはき》を賜い....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
〕 厚見王 厚見王の歌一首。厚見王は続紀に、天平勝宝元年に従五位下を授けられ、
天平宝字元年に従五位上を授けられたことが記されている。甘南備河は、甘南備山が飛鳥....
「あしびの花」より 著者:土田杏村
持つてゐる。万葉集の中にも馬酔木の歌は二十首許り這入つてゐる。中でも有名なのは、
天平宝字二年二月、式部大輔中臣清麻呂の宅で宴会のあつた時、来会者の大伴家持らが目....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
この移住は高句麗が新羅に亡ぼされてのち約五十年後に起った。そしてその後、 「
天平宝字二年八月に帰化の新羅僧三十二人と尼二名と男十九人女二十一人を武蔵国に移し....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
をかろしめて、たゞ山林幽閑をしのび、つひに当寺の蘭若をしめて弥陀の浄刹をのぞむ。
天平宝字七年六月十五日|蒼美をおとしていよ/\往生浄土のつとめ念ごろなり」と『古....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
葬にせぬと他に伝染するとて、迷信的にこれを行うている。 自分で水葬する補陀洛渡海
天平宝字五年に作られた法隆寺|流記《るき》資財帳を見るに、補陀洛山浄土画像一鋪と....