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天徳
「天徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
天徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真田幸村」より 著者:菊池寛
首級と太刀とは、後に兄の伊豆守信幸に賜ったので、信幸は二男内記をして首級は高野山
天徳院に葬らしめ、太刀は、自ら取って、真田家の家宝としたと言う。 この役に、関....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
び、出藍の誉れをほしいままにしたのは、まだ弱冠の頃であった。後諸州を周歴し、佐野
天徳寺、結城政勝、祐願寺等に兵を学んだが、さらに上泉伊勢守に就いて神蔭流の極意を....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
荘厳な儀式があの万福寺で催されているのだ。手兼村の松源寺、妻籠の光徳寺、湯舟沢の
天徳寺、三留野の等覚寺、そのほか山口村や田立村の寺々まで、都合六か寺の住職が大般....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
たけ》、武士、厩の神を知りたる人少なしとて、『諸社根元記』と『扶桑略記』より延喜
天徳頃|左右馬寮《さうまりょう》に坐せし、生馬の神、保馬の神を挙げ、『書紀』の保....
「魔都」より 著者:久生十蘭
た。警察の前で岩井とハッチソンに別れ、あたしと踏絵と山木と笑子の四人で魚河岸の「
天徳」へ朝飯を喰いに行った。あたしは山木の真向いへ坐って、ツクヅクと眺めるてえと....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
戸の中に捨てられたのであった。 寛文十二年二月二十一日晩方、高田殿は逝去した。
天徳寺に之を葬った。天和元年には、家断絶。世にいう越前家の本系は全く滅亡に及んだ....
「山の人生」より 著者:柳田国男
る。遠州奥山郷の久良幾山には、子生嵶と名づくる岩石の地が明光寺の後の峯にあって、
天徳年間に山姥ここに住し三児を長養したと伝説せられる。竜頭峯の山の主竜筑房、神之....