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天慶
「天慶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
天慶の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
るのが世の習いで、この一片の碑にも何かの由来が無くてはならない。 伝えて云う。
天慶の昔、平将門が亡びた時に、彼は十六歳の美しい娘を後に残して、田原藤太の矢先に....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
美婦人と親しくなって、女は毎夜忍んで来た。 それが五、六カ月もつづいた後、劉は
天慶観へ参詣すると、そこにいる老道士が彼に訊いた。 「あなたの顔はひどく痩せ衰え....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
内膳司屋顛倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に兵乱の兆があると奏した。
天慶は将門純友の東西に蜂起した年である。貞元元年六月の地震は、山城と近江がひどく....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
行ったが、最近は大分地方の大砲の音がよく聞えるという事であった。この日振島は昔し
天慶の乱に、伊予掾純友《いよのじょうすみとも》が遥に将門に応じて兵を起した根拠地....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
えすに、『武甲山蔵王権現縁起』というものを挙げたるその中に、六十一代|朱雀天皇|
天慶七年秩父別当武光同其子七郎武綱|云々という文見え、また
天慶七年武光奏し奉りて....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
の間に連絡を示すものと思われる一つの記事が、扶桑略記によって伝えられている。同書
天慶二年の条に「或記」というものを引いて、 近日東西両京大小路衢、刻之。 と書い....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
を歩いている参詣人や遊山の客とは、およそ遠い夢を武蔵はそこで描いているのだった。
天慶の昔――つくり話にちがいないが――平の将門と藤原|純友というどっちも野放しの....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の辺りは、麻生う里とも、麻布留山とも称ばれ、とにかく麻の産地であったそうだ。――
天慶年中、平将門が、関八州にあばれた頃は、ここに源|経基が対峙していたことがあり....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
但馬守は、たとえ一万石でも、諸侯の列に在る人である。その家格からいっても、遠く
天慶年代から柳生ノ庄の豪族として知られ、しかも将軍家の師ではあり、一介の野人にす....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
のさいに、三位|惟盛をつかわされたさいの仕きたりは不吉であった、よろしくこんどは
天慶承平の例に倣うべきであるというところから、特に、義貞へは節刀を賜わり、やがて....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
と、ぼくは丸い船窓へ顔をよせてみた。甲板へ出たら、あるいは、見えもしたろうか。
天慶年間(将門ノ乱の年)この辺で猛威をふるった藤原|純友の根拠地は、伊予沖の日振....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
かの。わしを以て嚆矢とするだろうな」 「左様ですな。恐らくございますまい。むかし
天慶の乱に、将門の猛威に抗し難くなった軍勢が、彼の叔父にあたる者の木像を輿に乗せ....