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天智天皇
「天智天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
天智天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「金将軍」より 著者:芥川竜之介
うせいどう》舒川県《じょせんけん》)に陣列《つらな》れり。戊申《つちのえさる》(
天智天皇《てんちてんのう》の二年秋八月二十七日)日本《やまと》の船師《ふないくさ....
「思い出の記」より 著者:小泉節子
を頼んで、そんなに要らないと云うのを沢山にやりました。しかし、宅にございますあの
天智天皇の置物は、荒川の作にしては出来のよい方ではないが、ヘルンの申しましたこの....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
山歌は目録には「中大兄三山御歌」と「御」が入っているに就き、代匠記には「中大兄ハ
天智天皇ナレバ尊トカ皇子トカ有ヌベキニヤ。傍例ニヨルニ尤有ベシ。三山ノ下ニ目録ニ....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
断、バカ歌のキメツケを与えて一蹴してしまう。それが過去の歴史の在り方です。しかし
天智天皇よりもちょッと前まで都はヒダや信濃にも在ったにきまっているのです。それは....
「人生における離合について」より 著者:倉田百三
。この現実の世ではそうした人倫の「有終の美」は稀なだけにどんなに尊いかしれない。
天智天皇と藤原鎌足のような君臣の一生的の結びは彼の漢の高祖や源頼朝などの君臣の例....
「仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
、姉妹の姿を見下ろしている。 「高麗郡の高麗家と同じように、荏原郡の荏原屋敷が、
天智天皇様のご治世に、高麗の国から移住して来た人々の、その首領を先祖にして、今日....
「血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
こり、同時に彼の姿は地上から消え、彼の立っていた足もとの辺りに大きな穴が開いた。
天智天皇の七年、高麗国の滅亡するや、その遺民唐の粟を食むことを潔しとせず、相率い....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、明日ヲ以テ其ノ父豊浦大臣子孫等皆之ヲ滅ス」 アッサリしたものです。近江天皇は
天智天皇のこと。□□□及び□□という二ヶ所の欠字については、これまた後にタンテイ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
るを得なくなるのです。 だいたい日本神話と上代の天皇紀は、仏教の渡来まで、否、
天智天皇までは古代説話とでも云うべく、その系譜の作者側に有利のように諸国の伝説や....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ら安住の地をもとめて海を越え、日本の諸方に住みついていたと考えられます。高句麗は
天智天皇の時代に新羅に亡ぼされたが、そのはるか以前からの当時の大陸文化をたずさえ....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
を知る上に須要なる文字であると信ずる。咸享は唐の高宗治世の年号で、その元年は我が
天智天皇の九年に当る。この際の遣使のこと日本紀に所見なきも、その前二年に高麗の唐....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
野人かつて「道鏡皇胤論」一編を京大史学会の雑誌史林の誌上で発表した事があった。要は道鏡が
天智天皇の皇孫であるとの旧説を祖述し、これによって道鏡に纏わる幾多の疑問を合理的....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が
天智天皇九年庚午四月三十日夜半の大火に一旦焼失し、その後いつの頃からか再建築に着....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
と、日本の公民の戸籍は初め大化の時に調べまして、その戸籍の基本となるべきものは、
天智天皇御代の庚午の歳の調査のもの、これを庚午年籍と云います。その庚午年籍が久し....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
いる。「出雲風土記」には、出雲の余戸を解して、「神亀四年の編戸に依る」とあって、
天智天皇八年庚午の戸籍にも漏れていたものが、この年新たに戸に編せられ、戸籍に登録....