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天武天皇
「天武天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
天武天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
によって、アヅサノユミノと訓んだ。その方が口調がよいからである。なお参考歌には、
天武天皇御製に、「その山道を」(巻一・二五)がある。なお山部赤人の歌に、「朝猟に....
「辞書」より 著者:折口信夫
の辞書のできはじめではない。日本紀にその名のみえている『新字』も辞書だとすれば、
天武天皇の時代で、とび抜けて早くからあったことになるが、それはちょっと信じられな....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
して、お目にかけるつもりです。しかし、それまでには相当の時間がかかると思います。
天武天皇も持統天皇もヒダ王朝出身の皇統に相違ないのですが、嫡流を亡して、故郷のヒ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
合せて一ツの真相を暗示しているのかも知れぬ。 ところが、後世に至って大友皇子と
天武天皇の例が起った。大友皇子は天智の子。天武は天智の弟で皇太子。しかし、皇太子....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
の安倍姓とは別に、勝手に仮冒していたのであるかもしれぬ。出羽の俘囚の長たる武則は
天武天皇の皇胤たる清原姓を名乗っているが、その子の武衡は一時平姓を唱えていたこと....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
論とは矛盾しない。しかし当時の右大臣吉備真備の如きも、称徳天皇崩御の後において、
天武天皇の皇孫で、既に臣籍(註三)に下った文室浄三や、その弟の大市を推戴しようと....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
この最後のものは、前引の天神本紀に天玉櫛彦命は間人連等の祖とあるのと同じもので、
天武天皇十三年に間人連等五十氏に姓を賜いて宿禰というに当る。 この外にも間人姓....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
ならば、これは到底相撲にならぬものであると謂わねばならぬ。言うまでもなく日本紀は
天武天皇朝以来の、国家の継続事業として編纂せられた勅撰の国史として、養老四年に至....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
系図の上から申しても、安倍氏は崇神天皇朝四道将軍の一人なる大彦命の後裔、清原氏は
天武天皇の皇子舎人親王の後裔、藤原氏は申すまでもなく大織冠鎌足の子孫田原藤太秀郷....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
れると『大方流罪人の子孫だろう』と答えているが、事実、三宅島の歴史をみると遠くは
天武天皇三年(皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆七島に流すと古書にある。島には....
「古事記」より 著者:武田祐吉
の成立に關する文獻は、この序文以外には何も傳わらない。 古事記の成立の企畫は、
天武天皇(在位六七二―六八六)にはじまる。天皇は、當時諸家に傳わつていた帝紀と本....
「古事記」より 著者:太安万侶
ないということはありませんでした。 古事記の企畫(序文の第二段) ――前半は
天武天皇の御事蹟と徳行について述べる。後半、古來の傳えごとに關心をもたれ、これを....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
肉食を以て穢れとするという思想は、実際日本には古くはなかったことであります。
天武天皇朝におきまして、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食うことを禁ずという詔がありまし....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
る。怒りにあったとしても古代国民が牛肉を喰らったことのあったには疑いない。その後
天武天皇の御代に至って、詔して牛馬犬猿鶏の肉を喰うを禁ぜしめられた。これは必ずし....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
てより以来、殺生を禁ずるという意味から、肉食は段々と排斥せられる事になった。既に
天武天皇の御代から、動物の内でも牛馬犬猿鶏の五畜に限って、その肉を喰うことを禁止....