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天照大神
「天照大神〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
天照大神の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
、それは天御中主神の否定であり、日本国体の神聖は、その重大意義を失う結果となる。
天照大神、神武天皇、釈尊の如き聖者は、よく数千年の後を予言し得る強い霊力を有した....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
の原理から説くことにしよう。由来畳というものは、神代時代からあったものだ。むかし
天照大神の御孫、瓊々杵尊、門戸、入口、竈、雪隠、土蔵、井戸、築山、泉水、茶室、納....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
れはそれは美しい、貴い女神がお生まれになりました。 伊弉諾神は、この女神さまに
天照大神というお名前をおつけになりました。そのつぎに右のお目をお洗いになりますと....
「人形の話」より 著者:折口信夫
ないのは、奥州一円にみられる「おしらさま」の存在である。こちらにくると観音さまや
天照大神または蚕玉さま(蚕の守護神)の画像(掛図)になっている。これは大きな変化....
「海神に祈る」より 著者:田中貢太郎
には蒲団を畳んで積み、衣類を入れた葛籠を置き、鎧櫃を置き、三尺ばかりの狭い床には
天照大神宮の軸をかけて、其の下に真新しい榊をさした徳利を置いてあった。権兵衛は其....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
るし、崇神天皇にも当るし、ひょッとすると、欽明天皇にも当るのではないでしょうか。
天照大神に当る方もこの一族でしょうが、その女の首長は神功皇后にも当り、推古女帝と....
「保久呂天皇」より 著者:坂口安吾
獲としては「保久呂天皇系図」という久作の新作らしい一巻の巻物が現れたことである。
天照大神からはじまり久作らしき天皇で終る最後に、 「この天皇眼の下に大保久呂あり....
「英彦山に登る」より 著者:杉田久女
の末にはもう山上の日子の宮には禰宜も登らず、茶店もとじてしまうそうな。(英彦山は
天照大神のみ子天忍穂耳尊天降りの地という) 私は三時に奉幣殿に下りてきて、今年....
「弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
ざる」 言下に若武士はそう答えた。 「根の国に赴きたまわんとして素盞嗚尊、まず
天照大神に、お別れ告げんと高天原に参る。大神、尊を疑わせられ、千入の靱を負い、五....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
」神々しい老人の声であった。
「それ大君は、上古|伊弉冊尊、天日を請受け、
天照大神を生み給い、この国の君とし給いしより、天地海山よく治まりて、民の衣食住不....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
とになるのです。人麻呂が不破山をよんだ歌の順路はピッタリします。 天のワカ彦が
天照大神の返し矢で胸を射ぬかれて死んだのは藍見川の左側ですが、両面スクナのヒダ伝....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
彦・久久都媛という二神の名の見ゆることによってである。倭姫命世記によるに、倭姫命
天照大神を奉じてその鎮まりまさん地を求め、和比野より幸行す時に久求都彦に行きあい....
「神代史の研究法」より 著者:津田左右吉
るというのである。 しかし神代巻の本文を読むと、そんなことは少しも書いてない。
天照大神は高天原にいられるとある。神々が高天原へ上ったり高天原から下ったりせられ....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
から、神武天皇が橿原宮に御即位になりまして後に、天津神の代表者として仰ぎ奉るべき
天照大神と、国津神の代表者として仰ぎ奉るべき倭大国魂神とを宮中にお祭りになり、崇....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
を以てまでも任じておられるのである。またその郷里たる安房国長狭郡東条郷を以て、「
天照大神の御厨、右大将家の立て給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」などと....