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「天誅組〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

天誅組の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
二百十日」より 著者:夏目漱石
剛健党《ごうけんとう》になるかと思うと、天祐派《てんゆうは》になる。この次ぎには天誅組《てんちゅうぐみ》にでもなって筑波山《つくばさん》へ立て籠《こも》るつもり....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の来るのを待ち切れないような第一の烽火が大和地方に揚がった。これは千余人から成る天誅組の一揆という形であらわれて来た。紀州、津、郡山、彦根の四藩の力でもこれをし....
文学に関する感想」より 著者:宮本百合子
義三郎をしてブルジョア的盛名を得させたと同時に堕落させた「お吉」を書こうとも、「天誅組」を書こうとも、取材を貫徹して、維新が、封建的地主絶対主義支配の門出である....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
やら、この絵図一枚で喧嘩が納まりそうである。 この左の眼のつぶれた人は、十津川天誅組《とつがわてんちゅうぐみ》の巨魁《きょかい》松本|奎堂《けいどう》であった....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
天誅組がいよいよ勃発《ぼっぱつ》したのは、その年の八月のことでありました。十七日....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
「これは十津川《とつがわ》でやられた。京都から引返して来るときに、伊賀の上野で天誅組の壮士というのに捉《つか》まり、それと一緒になって十津川へ後戻り、山の中で....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
つ》させたのはそれから幾らもたたない時でありました。この「天誅」の文字は大和の「天誅組」から筋を引いたものかどうかわからないが、武士と武士との間に行わるるのみで....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
和の十津川ですって……」 「そうです」 「あなたがなんですか、大和の十津川のあの天誅組《てんちゅうぐみ》の騒動へ加入なすったのですか」 「え、ふとした縁でね」 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
橋から物を投げ込んだことは、米友には今までに経験がないではありません。第一には、天誅組《てんちゅうぐみ》の貼紙をした立札を引っこぬいて、この川の中へ抛《ほう》り....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いう目におあいになりましたの」 「十津川の騒動の時にやられました」 「ああ、あの天誅組《てんちゅうぐみ》の騒動に、あなたもお出になりましたか」 「はい、十津川で....
志士と経済」より 著者:服部之総
の菜種や木綿の新市場を北陸一帯から蝦夷《えぞ》方面まで拡げる計画を企てている。『天誅組の研究』の著者は「幕末の五条と勤王志士」の章中この手紙を採録して、「右の如....
新撰組」より 著者:服部之総
に、これを理解し、善導することを念願した。清河と一緒に「寺田屋」派から分離しのち天誅組の謀主となって斃れた藤本鉄石《ふじもとてっせき》らまで、一時は黒谷《くろだ....
」より 著者:吉川英治
さあっ、大変じゃっ、見たか、聞いたか、たった今出た瓦版じゃ、瓦版じゃ。大和五条の天誅組が、下火と見えたら又しても乱が興った。平野国臣や、沢主水正、そのほか、京方....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
本版のそのラヴ・シーンとは何かというと、大ざっぱに言って、幕末維新の先駆をなした天誅組の首領、藤本鉄石(真金)にこんな一話があったのを、書名は忘れたがふと思い出....