太上[語句情報] »
太上
「太上〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太上の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「悟浄歎異」より 著者:中島敦
を憂えるだけで、自分の生命のことなどは、てんで考えの中に浮かんでこないのである。
太上老君《たいじょうろうくん》の八卦炉《はっけろ》中に焼殺されかかったときも、銀....
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
》するようなものである。見るは名あるがためではない。観ずるは見るがためではない。
太上《たいじょう》は形を離れて普遍の念に入る。――甲野さんが叡山《えいざん》に登....
「死者の書」より 著者:折口信夫
起して居る。簡素と豪奢との違いこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残っている。 今の
太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女として....
「源氏物語」より 著者:紫式部
入道の宮をまた新たに御母后《ごぼこう》の位にあそばすことは無理であったから、
太上天皇に準じて女院《にょいん》にあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって....
「源氏物語」より 著者:紫式部
四十の賀宴の用意は朝廷をはじめとして所々でしていた。 その秋三十九歳で源氏は準
太上天皇の位をお得になった。官から支給されておいでになる物が多くなり、年官年爵の....
「源氏物語」より 著者:紫式部
およろしい報せをお得になって御自身で訪問あそばされた。宮廷から封地をはじめとして
太上天皇と少しも変わりのない御待遇は受けておいでになるのであるが、正式の
太上天皇....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ような盛りのお姿と見えた。 昨夜は微行の御参院であったが、今朝はもう表だって準
太上天皇の儀式をお用いになるほかはなくて、院に参っていた高官たちは皆|供奉をして....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
榛原いり乱り衣にほはせ旅のしるしに 〔巻一・五七〕 長奥麿 大宝二年(文武)に
太上天皇(持統)が参河に行幸せられたとき、長忌寸奥麿(伝不詳)の詠んだ歌である。....
「『新新訳源氏物語』あとがき」より 著者:与謝野晶子
を知るようになった。前の作者の筆は藤のうら葉で終り、すべてがめでたくなり、源氏が
太上天皇に上った後のことは金色で塗りつぶしたのであったが、大胆な後の作者は衰運に....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
。いまから一千余年前、醍醐天皇の延喜十一年六月十五日、折りから盛夏の候であった。
太上法皇は水閣を開いて、当時天下に聞こえた酒豪を招いて醇酒を賜わったのである。け....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
時に手ぎわよく処理せられた。天皇が不予だといっては三千八百人の僧尼がつくられる。
太上天皇の陵を祭るといっては僧尼各一千が度せられる。大仏ができたといっては宮中で....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
は一臣民であった。その点では京都の宮廷貴紳と何のかわりもあるわけはない。そこに、
太上天皇御書下預時歌 大君の勅をかしこみちちははにこころはわくとも人にいはめやも....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
見たと思った。 かくて、押小路|室町内裏での、儀式がすむと、同日、後醍醐へは、
太上天皇 の尊号が奉られ、以後、先帝ということになった。 そしてここに、 ....