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太十
「太十〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太十の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「陣中日誌(遺稿)」より 著者:山中貞雄
さんの一代記八千ぐらいにまとめてやればどうやろか。 また、演舞場で虎ちゃんが「
太十」をやッたと云う新聞記事を見て、ふと前進座で光秀をやりたいとも思う。いッそエ....
「夫婦善哉」より 著者:織田作之助
り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「
太十《たいじゅう》」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。 (昭和十五年八月)....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
変な目に会うに至って居るのである。 氏郷は何様《どん》な男であったろう。田原藤
太十世の孫の俊賢《としかた》が初めて江州蒲生郡を領したので蒲生と呼ばれた家の賢秀....
「太十と其犬」より 著者:長塚節
一
太十は死んだ。 彼は「北のおっつあん」といわれて居た。それは彼の家が村の北端に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
郎、民之助、左平、津太夫、小竹浜の茂七郎、吉次郎、石浜の辰蔵、源谷室浜の儀兵衛、
太十ら十六人、江戸へ向けての材木と、穀物千百石を積んで石巻を船出したが、途中大風....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
て東京らしくなったというが、大阪へ戻って身につけて来た芸が、ぴったり合っていた。
太十の操をすると、自由にくだける所があるが、輝虎配膳の老女(越路)などの役は非常....
「役者の顔」より 著者:木村荘八
は、その舞台顔だけへ精魂の籠った、そのままの「芸術品」と呼ぶべきものでしたろう。
太十の夕顔棚のくだり「現れ出でたる」などは、あの蟹のようだった武智光秀の面相が、....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
」の姉輪平次や、「ふた面」の法界坊や、「腰越状」の五斗や、「廿四孝」の横蔵や、「
太十」の光秀などを見た。千歳座では「三代記」の佐々木や、「堀河夜討」の藤弥太など....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
汲みて知る上人もまたなかなかに口を開かん便宜なく、しばしは静まりかえられしが、源
太十兵衛ともに聞け、今度建つべき五重塔はただ一ツにて建てんというは汝たち二人、二....