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太后
「太后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太后の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「首が落ちた話」より 著者:芥川竜之介
の紅梅が時々|支那《しな》めいた匂を送って来る。
二人の間の話題は、しばらく西
太后《せいたいこう》で持ち切っていたが、やがてそれが一転して日清《にっしん》戦争....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
爆弾を投じた。 宮城大宮御所の建物にも損傷あり、まもなく消し止めた。両陛下と皇
太后陛下は御無事とのこと。明治神宮は本殿と拝殿とが炎上した。鈴木首相の放送に「敵....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
藩公からの御沙汰があった。 ところが出仕してみると華族池田茂政、前田|利鬯、皇
太后宮亮林直康氏等が来て居られて、色々とお話の末、池田、前田両氏が親しく翁を召さ....
「死者の書」より 著者:折口信夫
華経、又其|御胎にいらせられる――筋から申せば、大叔母御にもお当り遊ばす、今の皇
太后様の楽毅論。此二つの巻物が、美しい装いで、棚を架いた上に載せてあった。 横佩....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
つつ忘らえぬかも 〔巻二・一四九〕 倭姫皇后 これには、「天皇崩じ給ひし時、倭
太后の御作歌一首」と明かな詞書がある。倭
太后は倭姫皇后のことである。 一首の意....
「友人」より 著者:上村松園
小町、清少納言、紫式部、亀遊、税所敦子――そのほかいくらでもある。 楊貴妃、西
太后……数えればきりがない。 心の友は永久に別れることのない友である。 私は....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
のです」とおっしゃいましたが、間もなくなくなっておしまいになりました。もと英照皇
太后宮にお仕えした方で、山県公の眷顧を受けられ、その詠み口がお気に入っていたと聞....
「今昔茶話」より 著者:国枝史郎
妹を皇后として迎えようとしたところ、露帝アレキサンダー一世は、大体承諾したが、皇
太后が反対して成立せず、それをナポレオンが心よく思わなかったことである。 第二....
「あゝ二十年」より 著者:上村松園
られた英国皇太子コンノート殿下の御買上げを得た時のことを思い合わせまして、今度皇
太后陛下にお納め申し上げました三幅対「雪月花図」とは、今日までの私の長い画家生活....
「画道と女性」より 著者:上村松園
りました。それをお受けしたのは昨年の九月頃であったろうか。最初の気持では、今の皇
太后陛下が皇后宮に居られた頃に御下命を承った雪月花三幅対の図がすでに小下図を差し....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
今夏は、私は誠にすがすがしい心持でおります。と申しますのは、この六月、皇
太后陛下御下命の御用画の三幅双を完成いたしまして、折りから、京都行啓中の陛下に、....
「無表情の表情」より 著者:上村松園
ます稽古に励むつもりでいますし、また人にも説くこともあります。 私はこの頃、皇
太后陛下の思召によります三幅対の制作に一心不乱になっております。これは今から二十....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
聖上陛下の天覧、第二日は皇后陛下の台覧、第三日は外国公使その他の招待、第四日は皇
太后陛下の台覧あり。 ○七月二十一日、三代目河原崎国太郎死す、三十八歳。女房役者....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の方で三位以上になれば別に官職はなくても公卿に算えられるわけで、俊成も正三位|皇
太后宮大夫まで登ったのだから、最後には公卿に列したには違いないのだが、こういうの....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
隙なく宮中に残った数千人のものは日本軍に依って食を与えられた。宮中には光緒帝も西
太后も西巡していて恵妃(同治帝の妃)のみが国璽を守っていたが、柴大人に使を派して....