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太守
「太守〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太守の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「報恩記」より 著者:芥川竜之介
んぱく》の太刀《たち》を盗んだのも、また遠い海の外《そと》では、呂宋《るそん》の
太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとう搦《から》めとられ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の上に置いた鑿がその子の頭に落ちて来て、脳をつらぬいて死んだ。 陳は後に予章の
太守に栄進して、久しぶりで黄家をたずねた時、まずかの子供のことを訊くと、かれは鑿....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
酒も飲み、鞠も蹴る。それで職務にかけては廉直というのであるから申し分がない。州の
太守も彼を認めて、将来は大いに登庸しようとも思っていた。 その頃、成徳軍の帥に....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
のために二|艘の御座船を造らせた。鳳凰丸と孔雀丸とが即ちそれである。風流の仙台|
太守は更に二十余章の舟唄を作らせた。そのうちには自作もあると云う。爾来、代々の藩....
「運命」より 著者:幸田露伴
て、南安の郡守|陳香泉の序、江西の廉使劉在園の評、江西の学使|楊念亭の論、広州の
太守|葉南田の跋を得て世に行わる。幻詭猥雑の談に、干戈弓馬の事を挿み、慷慨節義の....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
いぞ、さては何じゃな、今の二人が陣屋の雲行き、探りに参ったところを見ると、島津の
太守、つね日頃より松平の御前の御見込みがわるいと見ゆるのう。そうであろう。どうじ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
にも判らなかった。しかも幾年の後に、その謎の解ける時節が来た。周は立身して臨賀の
太守となったのである。 武陵桃林 東晋の太元年中に武陵の黄道真という漁人....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
さるなと、堅く頼んで別れた。 床下の女 宋の紹興三十二年、劉子昂は和州の
太守に任ぜられた。やがて淮上の乱も鎮定したので、独身で任地にむかい、官舎に生活し....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
た。 慶忌 張允恭は明の天啓年間の進士(官吏登用試験の及第者)で、南陽の
太守となっていた。 その頃、河を浚う人夫らが岸に近いところに寝宿りしていると、....
「神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。 むかし、秋田何代かの
太守が郊外に逍遥した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿....
「二つの短い話」より 著者:ケネディパトリック
云うのでしたが、その家の人を皆好きであった其時のアイルランド人は、彼をジェラルド
太守と呼びならわしていました。彼は、ムリイマストに大きな城を持ってい、英国の政府....
「宝島」より 著者:佐々木直次郎
の船にいたこともあるんだ。あの大海賊のイングランド船長(註四三)の港の外でインド
太守の船に乗込みのあった時にもいたんだよ。でも、こうして見ていると、まるで赤ん坊....
「馬妖記」より 著者:岡本綺堂
て徳川家からは疎略にあつかわれず、筑前から更に中国に移封して、備前美作五十万石の
太守となった。神原君の祖先茂左衛門|基治も主人秀秋にしたがって中国に移ったが、や....
「備前天一坊」より 著者:江見水蔭
より取るに足らぬけれど、それよりもズッと前、七十余年も遡って万治三年の頃に備前の
太守|池田新太郎少将光政の落胤と名乗って、岡山の城下へ乗込んだ浪人の一組があった....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ベットのラサ府には着かぬようですがどの辺までか入ったらしい。
という人がインドの
太守であった時分に、インドとチベットの間に貿易を開こうと思って、一七七四年にジョ....