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太平記
「太平記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太平記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
んぎん》に会釈をした。ただその中で聊《いささ》か滑稽の観があったのは、読みかけた
太平記を前に置いて、眼鏡をかけたまま、居眠りをしていた堀部弥兵衛が、眼をさますが....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
おき》の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね」 「そりゃあ本当でしょう。
太平記にも出ていますから……」 「子供の話にある、カチカチ山の狸の土舟《つちぶね....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
郎、伊達次郎というのがある。もっとも、これは西木戸太郎、館次郎が本当だとも云う。
太平記にも南部太郎、伊達次郎などと云う名が見えるが、これもイダテ次郎と読むのが本....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
家本位の偏見から脱する事が出来なかったのである。 これでは武家も収らない。 『
太平記』の記者は、 「日来武に誇り、本所を無する権門高家の武士共いつしか諸庭奉公....
「縁結び」より 著者:泉鏡花
には、この仁右衛門の堂へ寄って、世間話、お祖師様の一代記、時によると、軍談講釈、
太平記を拾いよみに諳記でやるくらい話がおもしろい爺様だから、日が暮れるまで坐り込....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
てはなはだ済まない。諸君によろしく。さよなら。 トルストイ、イブセン、および『
太平記』、今日着いた。 * 堀保子宛・明治四十二年四月二十六日 いい陽....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
ような話なので私はすくなからずめんくらつたが、それでもとにかく注文の日限に「天下
太平記」というものをこねあげて渡したら、大枚百円なりを即金でもらつた。 何しろ....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
った。 かれの父の師直は塩冶判官高貞の妻に恋していた。この恋物語は、その当時の
太平記の作者が玉をつらねた名文をもって委しく書き伝えているのであるから、今更あら....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
となすものは、往々にして鎌倉幕府を指し、あるいは一般に武士を示すの語となれり。『
太平記』俊基朝臣東下りの道行のうち、池田宿の条に、 元暦元年の比かとよ、重衡の....
「迷信解」より 著者:井上円了
、大義の本意を達すべきに、さようのことなきは、はなはだ怪しむべきことなり。また『
太平記』に、『楠正成の亡霊が一条の戻り橋にて、女に化して大森彦七をおどしたり』と....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
た。 仲光の脚本がどんなものであるか、今あらためて説明するまでもあるまい。『前
太平記』を殆んどそのままに脚色したもので、やはり従来のチョボの浄瑠璃を用い、合方....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
しばらく間が切れて、明治四十三年の九月に明治座で、今の歌右衛門が新田義貞をした『
太平記足羽合戦』という三幕物を私が書いた。その時分にやはり舞台装置や何かを米斎君....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
界では種々新しいうごきが目に著きはじめている。平家琵琶から分れて咄し家が立ち、『
太平記』や『明徳記』や『大内義弘退治記』(応永記)のような講釈軍記の台本が書かれ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
のである。出雲において尼子経久が、エタの軍勢を催して富田城を恢復した事が、「陰徳
太平記」などに見えているが、ここにエタとは、すなわちいわゆるハチヤの事であって、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
れたところをみると、やはり東寺の散所法師と同じ性質のものであったと察せられる(『
太平記』にも散所法師のことがあるよし『以文会筆記』にみえるが、いまだ本文を見出だ....