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「太政官〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

太政官の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
めた。 新一郎が勤王派であったことは、新一郎の立場を有利にして、明治三年に彼は太政官に召されて、司法省出仕を命ぜられた。 成田頼母を斬った六人の同志のうち、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
たいのは当時の空をおおう雲行きであった。そこで新政府では外国交際の布告を急いだ。太政官代三職の名で発表したその布告には、幕府において定め置いた条約が日本政府とし....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
れを中央に見ても、正香のいわゆる「政治を高めようとする」祭政一致の理想は、やがて太政官中の神祇官を生み、鉄胤先生を中心にする神祇官はほとんど一代の文教を指導する....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
遊びにきておれの机の上をジロジロ見るとき、おれははずかしくて本をかくしたものだ、太政官印刷なんて本があるんだからな、実際はずかしかったよ。おれはこんな時代おくれ....
死者の書」より 著者:折口信夫
は、まだ時おり、石城と謂われた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
授、矢野玄道氏が二等教授木村正辞氏が三等教授であった。間もなく官制を改められて、太政官その他の諸省が出来たので、昌平学校は大学本校となり、開成学校が大学南校医学....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
方を遠く望まれたものと想像することが出来る。 皇女の薨ぜられた時には、皇子は知太政官事の職にあられた。御多忙の御身でありながら、或雪の降った日に、往事のことを....
雪の宿り」より 著者:神西清
さけるばかりでございます。人伝てに聞及びました所では、昨年の暮ちかく上皇様には、太政官の図籍の類を諸寺に移させられました由でございますが、これも今では少々後の祭....
ある恋の話」より 著者:菊池寛
て安穏に過して来ました。そして明治十二三年頃に、その一人娘をその頃羽振の好かった太政官の役人の一人である、私の妻の父に嫁がせたのです。祖母の結婚が不幸であったの....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
もした。その頃までは青年の青雲の希望は政治に限られ、下宿屋から直ちに参議となって太政官に乗込もうというのが青年の理想であった時代であったから、天下の最高学府の出....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
、身体長大、色白く、眼は青味を帯び、毛多く、頬骨が秀でていると語った。承和元年の太政官符に、飛騨の人は言語容貌すでに他国人に異なりと言われた程度のものが、ここに....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
こでは中古の頃までも、未だ里人に同化しない民衆が住んでいたのであった。弘仁元年の太政官符にも、「飛騨の民は言語容貌既に他国に異なり」とある。彼らは所謂飛騨の工で....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
江朝廷の令にしても、大宝律令にしても漢文で記されねばならなかったし、詔勅も上奏も太政官符も戸籍も歴史も、すべて支那文化に則る政治風教の百科の事務はみな漢文の記録....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
その解放がしばしば識者間の問題となり、明治四年八月二十八日に至って、かの有名なる太政官布告となって、身分職業その他のすべて平民と異なるなきことが宣言せられたので....
濫僧考」より 著者:喜田貞吉
髷付油を以てそれをその坊主頭に着けたものであったという。承和十一年十一月四日の「太政官符」によるに、遊猟の徒が屠割の事によって、鴨上下大神宮の辺の川を※穢の濫僧....