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太物
「太物〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太物の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
。店々の飾りつけを見ても、競って顧客の注意を引くように快く出来ている。塩、鰹節、
太物、その他上田で小売する商品の中には、小諸から供給する荷物も少くないという。 ....
「縮図」より 著者:徳田秋声
見慣れるにつれて、人の姿も目について来て、大通りらしい処へ出ると、かなりの薬局や
太物屋、文房具屋などが、軒を並べていた。 ある八百屋の店で、干からびたような水....
「あの顔」より 著者:林不忘
った。美しかった。からだも、丈夫だった。何よりも、この下谷お数寄屋町の富豪、呉服
太物問屋|上庄《かみしょう》の内儀として、人に立てられ、多勢の下女下男を使ってい....
「新版 放浪記」より 著者:林芙美子
母
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、
太物《ふともの》の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
た―― 昔、あるところに旅の商人がありました。 いつも、若い番頭を一人つれて
太物《ふともの》の旅商いに歩き、家には本来相当な財産がある上に、勤勉家でもあり、....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
いうに及ばない。 大門通りも大丸からさきの方は、長谷川町、富沢町と大呉服問屋、
太物《ふともの》問屋が門並《かどなみ》だが、ここらにも西陣の帯地や、褂地《うちか....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
っていた。家には長女の豊子十八と、四女の政子十と、赤ん坊の六女艶子とがいた。家は
太物商で裕福に暮らしていた。 その頃は何ごとも知る由もなかったが、子供を幼いこ....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
いものがあるところへ、お母さんは江戸っ児《こ》ですの。前川という有名な資産家の、
太物《ふともの》問屋のお嫁御《よめご》になって、連合《つれあい》に別れたので、気....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
かまつり候《そうろう》。当方は若松屋惣七と申す貸金取り立て業のものにござ候。呉服
太物商磯五よりおんもとさまへの貸方二百五十両のとりたてを任《まか》せられ候につい....
「一老人」より 著者:犬田卯
記憶にあるのは、陽だまりに草履や笠を手づくりしている一人の老婆と、ささやかな呉服
太物の包みを背負って近村を行商して歩いていた四十先きの女房の姿である。この二人の....
「凍雲」より 著者:矢田津世子
させる。 この物売りたちの中にまじって、町の小商人たちも店を張る。下駄屋だの、
太物屋だの小間物類の雑貨屋だの……。 市の日は、飲み屋の書き入れ時で、うす汚れ....
「不在地主」より 著者:小林多喜二
が廻ってくる。写真を沢山さげた仏壇を背負って、老人が鐘をならしながら表へ立った。
太物をもった行商もきた。越中富山の薬屋が小さい引出しの沢山ついた桐の箱をひろげて....
「加波山」より 著者:服部之総
主であり郷士であり、名目上の禄百石と五人口を給さるる藩士でさえあって、しかも呉服
太物業・魚問屋・酒屋を経営していた。一介の郷士にしてたとい名目上とはいえ(「新地....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
しまったとも言われぬのは、近い頃までも夏だけはなお麻を用い、木綿といっても多くは
太物であり、織目も手織で締まらなかったから、まだ外気との交通が容易であったが、こ....