»
太田
「太田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
イや連絡係を勤めたものもあったというから幾分その方の用事もあったには違いないが、
太田|道灌《どうかん》はじめ東国の城主たちは熱心な風雅擁護者で、従って東海道の風....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
」 それから十日ほどの後に、善八がこんなことを聞き出して来た。 「麹町四丁目の
太田屋という酒屋は、福田の屋敷へ長年の出入りだったそうです。その女房が娘と小僧を....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
だして、半七は更に信濃屋に足をむけた。信濃屋の番頭は宿帳をしらべて、その客は上州
太田の在の百姓甚右衛門四十二歳で、去年の暮の二十四日から逗留していた。どうしても....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、本町通り、弁天通りが開かれる。野毛の橋が架けられる。あくる万延元年の四月には、
太田屋新田の沼地をうずめて港崎町の遊廓が開かれる。外国の商人館が出来る。それから....
「吉原新話」より 著者:泉鏡花
それ、婆々か、と思うとそうじゃ無い。 (縁側の真中の――あの柱に、凭懸ったのは
太田(西洋画家)さんですがね、横顔を御覧なさい、頬がげっそりして面長で、心持、目....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
る。よろこんでおった。 ◯この日敵機が関東北部へ向かったというので、さては小泉、
太田の中島飛行機工場へ行ったかと舌打ちしたが、そのうちに敵機隊は南下を開始した。....
「河明り」より 著者:岡本かの子
一いろの紅硝子のように斜陽のいろに透き通る明るい夕暮に釣人が鯊魚を釣っている広島
太田川の宿。 水天髣髴の間に毛筋ほどの長堤を横たえ、その上に、家五六軒だけしか....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
に繁華になりましたが、昔は随分さびしいところで、竹藪などが沢山にありました。現に
太田蜀山人の書いたものをみると、一ツ木の藪から大蛇があらわれて、三つになる子供を....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
た啼き出すという始末。急がずば湿れざらましを旅人の、あとより晴るる野路の村雨――
太田道灌よく詠んだとは、まったく此の事であった。近年こんな夕立はめったにない。 ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
りをしますかな。そうなると、三浦さんも係り合いは抜けないのだから、まず序びらきに
太田の松茸のことを話してください」 「ははは、これはひどい。わたしに前講をやらせ....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
、 筑波根の峯に建てたるやぐらにも あらはれにけり君がいさをは 三 小田城と
太田三楽 筑波山は山しげ山しげけれど 思ひ入るにはさはらざりけり げに、古よ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
、眉に唾をつけながらも考えさせられる。 鉄砲は暫らくお預けとして、長禄というと
太田道灌が江戸城を築いた年である。『八犬伝』には道灌は影になってるが、道灌の子の....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
ては移ること遅く、櫃の蓋の上に風呂敷を覆えば、なおよく移るなり。 また、茨城県
太田町、前島某氏の報知によるに曰く、 (前略)竹の長さを九寸三分か、あるいは七寸....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
んで、鴎外の書斎はイツモお客で賑わった。 私が最も頻繁に訪問したのは花園町から
太田の原の千駄木時代であった。イツデモ大抵夜るだった。随分十時過ぎから出掛けた事....
「古事記」より 著者:太安万侶
。次にクシツノワケの王は、茨田の下の連等の祖先です。次にオホウスの命は、守の君・
太田の君・島田の君の祖先です。次にカムクシの王は木の國の酒部の阿比古・宇陀の酒部....