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「太閤記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

太閤記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
非凡なる凡人」より 著者:国木田独歩
の非凡な人であったことを今ここで詳しく話すことはできないが、その一つをいえば真書太閤記《しんしょたいこうき》三百巻を写すに十年計画を立ててついにみごと写しおわっ....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
たが、式部手を負いて叶い難し、汝取れと云ったので六郎走りかかって首を打落した。『太閤記』では、匂坂兄弟が真柄一人にやられているところに、本多平八郎忠勝馬をおどら....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
かるに秀吉の反対は、一座を動揺せしめたが、秀吉の云い分にも、正当な理由がある。『太閤記』などには、信忠―秀吉、勝家―信孝の間には、往年男色的関係があったなどとあ....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
したので、信長の死をチャンスだと考える点では、同じであっただろう。 だから、『太閤記』の作者は、 「天下順に帰するや山崎の一戦なり。天下逆に帰するや山崎の一戦....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
をつぐんで答えようとしなかった。 これは同じ日の報知新聞の夕刊の矢田挿雲の「太閤記」の一節である。この文章は如何? これは、確かに解りいい文章である。然も一....
死までを語る」より 著者:直木三十五
この餅を買ってもらった。 その隣りが、前にかいた貸本屋である。神田伯竜口演の「太閤記」七冊つづきを、一日の間に読んで、見料二銭。父が叱るので、母に頼んで、この....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
た歪形な頭の下に、せめて枕だけは柔かいのをあてがってやりたく思うことがよくある。太閤記を見ると、秀吉が朝鮮征伐のために、陣を進めた九州の旅先で、異形の仮装をして....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ん》を斜《しゃ》に構えたところなんぞも、調子が変っている。 外題《げだい》は「太閤記小田原攻め」の一条、 「天正十八年七月……北条の旗下《きか》に属せし関八州....
黒百合」より 著者:泉鏡花
はしませんけれども、黒百合のある処は解っておりますからとそう言って参りましたが、太閤記に書いてあります草双紙のお話のような、それより外|当地でもまだ誰も見たもの....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
何か腹の中がぞくぞくとした。私たちは夜巴橋で逢う約束をして別れた。 私はその頃太閤記を読んでいた。そして信長が小姓たちを愛する気持ちに、或る男性的な美を感じて....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
いで逃げ戻ったという。かくの如くに現実の忍術使いに九字を切ることは実在しないし、太閤記だの真田軍記だのと伝説的な忍術使いが現れて胸に真言九字の印をきりだしたのは....
歌麿懺悔」より 著者:邦枝完二
両国広小路の地本問屋加賀屋吉右衛門から頼まれて大阪の絵師石田玉山が筆に成る(絵本太閤記)と同一趣向の絵を描いた、その図の二三が災して、吟味中入牢仰付といい渡され....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
祭佐七」であった。 五万円問題とは別であるが、明治三十四年の三月、歌舞伎座で「太閤記」大徳寺焼香場を出した。団十郎の秀吉、菊五郎の柴田勝家が呼びもので、これも....
十六、七のころ」より 著者:永井荷風
史《はいし》小説の復刻をなし始めたのはその頃からであろう。わたくしは病床で『真書太閤記《しんしょたいこうき》』を通読し、つづいて『水滸伝《すいこでん》』、『西遊....
時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
も感情も変る。太平の世の道徳を以て乱世の事件を批評してはならぬ。矢矧の橋の強盗は太閤記にも出所のない全くの俗伝で、もとより取るに足らないことではあるが、当時の野....