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夷
「夷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
夷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「温泉だより」より 著者:芥川竜之介
の字のお上《かみ》の話によれば、元来この町の達磨茶屋《だるまぢゃや》の女は年々|
夷講《えびすこう》の晩になると、客をとらずに内輪《うちわ》ばかりで三味線《しゃみ....
「お律と子等と」より 著者:芥川竜之介
て、谷中《やなか》の墓地へ墓参りに行った。墓地の松や生垣《いけがき》の中には、辛
夷《こぶし》の花が白らんでいる、天気の好《い》い日曜の午《ひる》過ぎだった。母は....
「素戔嗚尊」より 著者:芥川竜之介
かす》めて去来する岩燕《いわつばめ》を眺めていると、あるいは山峡《やまかい》の辛
夷《こぶし》の下に、蜜《みつ》に酔《よ》って飛びも出来ない虻《あぶ》の羽音《はお....
「保吉の手帳から」より 著者:芥川竜之介
開いている。木蘭はなぜか日の当る南へ折角《せっかく》の花を向けないらしい。が、辛
夷《こぶし》は似ている癖に、きっと南へ花を向けている。保吉は巻煙草《まきたばこ》....
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
てその跡からとぼとぼとついて行った。
北海道の冬は空まで逼《せま》っていた。蝦
夷富士《えぞふじ》といわれるマッカリヌプリの麓《ふもと》に続く胆振《いぶり》の大....
「初めて見たる小樽」より 著者:石川啄木
カアフリカ濠州および我がアジアの大部分に向って試みたかを。また見よ、北の方なる蝦
夷《えぞ》の島辺、すなわちこの北海道が、いかにいくたの風雲児を内地から吸収して、....
「灯明之巻」より 著者:泉鏡花
狩だの、類人猿の色のもめ事などがほとんど毎月の雑誌に表われる……その皆がみんな朝
夷島めぐりや、おそれ山の地獄話でもないらしい。 最近も、私を、作者を訪ねて見え....
「湯女の魂」より 著者:泉鏡花
引かれながら。 その日、糸魚川から汽船に乗って、直江津に着きました晩、小宮山は
夷屋と云う本町の旅籠屋に泊りました、宵の口は何事も無かったのでありまするが、真夜....
「北斗帖」より 著者:違星北斗
居の様に思ったり 病気を歌に詠んで忘れる 一雨は淋しさを呼び一雨は 寒さ招くか蝦
夷の九月は 尺八を吹けばコタンの子供達 珍しそうに聞いて居るなり 病よし悲しみ苦....
「作画について」より 著者:上村松園
きくらすあめりか人に天日の かゞやく邦の手ぶり見せばや 神風のいせの海辺に
夷らを あら濤たゝし打沈めばや 東湖のこのはげしい攘
夷の叫び声にも負けな....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
も、多数に無勢、一般の挙動はかくのごとくにして、局外より眺むるときは、ただこれ攘
夷一偏の壮士輩と認めざるを得ず。然らば幕府の内情は如何というに攘
夷論の盛なるは当....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
代うるに英、米の新文明をもってしようと努力したのである。時勢も時勢で、ちょうど攘
夷の非なることを覚《さと》って一日も早く西洋の長所を学ぼうという社会的要求の切な....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
城なる豪貴の長者、善覚の妹姫が、姉君|矯曇弥とともに、はじめて見ゆる処より、優陀
夷が結納の使者に立つ処、のちに、矯曇弥が嫉妬の処。やがて夫人が、一度、幻に未生の....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
います。――恋とサア、というくどきです。 恋とサア情のその二道は、やまと、唐土、
夷の国の、おろしゃ、いぎりす、あめりか国も、どこのいずくも、かわりはしない。さて....
「活人形」より 著者:泉鏡花
きて、よくよく思い詰めたる物と見ゆ。遥々我を頼みて来し、その心さえ浅からぬに、蝦
夷、松前はともかくも、箱根以東にその様なる怪物を棲せ置きては、我が職務の恥辱なり....