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奄美大島
「奄美大島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
奄美大島の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「小浅間」より 著者:寺田寅彦
中で昼食の握り飯をくいながら、この測夫の体験談を聞いた。いちばん恐ろしかったのは
奄美大島の中の無人の離れ島で台風に襲われたときであった。真夜中に荒波が岸をはい上....
「病菌とたたかう人々」より 著者:宮本百合子
いまはもう鹿児島県に入らない土地となった
奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園に....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
ているが、恐らく空葬の習俗が泯《ほろ》びた後に天狗に附会したものであろう。薩南の
奄美大島には各村に男子の入る事を禁じている場所があるが、これは巫女《のろくめ》を....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
、色丹島は、北海道の行政区にあるにもかかわらず、ソビエトの占拠するところとなり、
奄美大島、沖縄諸島、小笠原、硫黄島等、これらのものは特別なる軍事占領が継続され、....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
。 しかし更になお鹿児島県のものとして特筆されてよいのは「大島紬」であります。
奄美大島は今は大隅の国に属していますが、元来は沖縄の一部でありました。そのため凡....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
摘んでいた頃には、確かに苦いということがこの植物の特徴であったろう。鹿児島県でも
奄美大島の北の村々はやはりこの草をニギャナといい、にがいから苦菜だと説明せられて....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
らによって保存せられ活用せられたのみでなく、同時に彼らはまた新作者でもあった。『
奄美大島民謡大観』を読んでみると、島の宴飲には最も即興の歌が珍重せられ、殊に男女....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
節供の日の子ども遊びであったというが、今ではもう常の日にもすることがあるらしい。
奄美大島のような遠い島にも、やはり古くからそのネンウチの遊びはあり、その木をネン....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
も同様で、磯が遠ければ海の見える丘の上、または川の流れの辺りでも同じ遊びをする。
奄美大島ではこれを浜下りといい、遠く離れて陸前の金華山近くでは磯祭、関東では単に....
「母の手毬歌」より 著者:柳田国男
た一夜機としょうして、朝から糸を繰り機に立てて織ることにしている。鹿児島県南海の
奄美大島では、十三歳になる女の子には十三袴といって、叔母さんから赤い腰巻をやるこ....