奥の細道[語句情報] » 奥の細道

「奥の細道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

奥の細道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らしい福相をそなえた老人であった。 旅絵師も自分のゆく先を話した。かの芭蕉の「奥の細道」をたどって高館の旧跡や松島塩釜の名所を見物しながら奥州諸国を遍歴したい....
秋日記」より 著者:原民喜
おもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪《なみだ》をそゝく 彼は歩きながら『奥の細道』の一節を暗誦《あんしょう》していた。これは妻のかたわらで暗誦してきかせ....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
デヤに対する思慕を指して「そぞろなる思い」と言った。彼はそれによって旅情を追い、奥の細道三千里の旅を歩いた。西行《さいぎょう》も同じであり、或る充たされない人生....
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
ほどの、余裕も働きもないから、手酌で済ます、凡杯である。 それにしても、今時、奥の細道のあとを辿って、松島見物は、「凡」過ぎる。近ごろは、独逸、仏蘭西はつい隣....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、さのみ退屈するところではないのです。 早い話が、この石巻の港にしてからが、奥の細道を旅した芭蕉翁が、この港に迷い込んだことがあるのであります。 「終《つ....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
集――とを有つ、由緒ある小農の一家族。 コペンハアゲンは、スカンジナヴィアの「奥の細道」における白河の関だ。 女の頬の赤さと青年の眼の碧さと。 海峡の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
山桜と雉《きじ》を描いて、さて出立という時、主人が若干の草鞋銭《わらじせん》と「奥の細道」の版本を一冊くれました。 若干の草鞋銭は先方の好意でしたが、「奥の細....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
しかない市立の女学校に這入《はい》りました。女学校は小さい図書室を持っていて、『奥の細道』とか、『八犬伝』とか、吉屋信子《よしやのぶこ》女史の『屋根裏の二処女』....
人生三つの愉しみ」より 著者:坂口安吾
ン騒ぎは附き物であるが、ローマ風呂の豪奢の片鱗をとどめるほどの浴室もなく、大半は奥の細道の心境を旨とするかの如き質実剛健ぶりで、亡国の相に縁遠いのは大慶の至りで....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ただ田舎風の策略が発達するだけである。伊達政宗的な言葉かも知れないね。 仙台は奥の細道の地であるから、仙台の目貫きの通りの芭蕉の辻というのはそのインネンの地か....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
は、極く最近のことでありまして、東北地方を目標としての最も古い文学である芭蕉の『奥の細道』にいたしましても、僅かに二百四十年ばかり、徳川中期のことであります。そ....
飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
は、私はそれまで知らなかったのである。 蚤虱馬の尿する枕もと これは、芭蕉の「奥の細道」の中の一句であるが、私はこの夜、この炉端にごろ寝しながら、この句を思い....
夫人利生記」より 著者:泉鏡花
菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、健なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
辰は、いまも山よりの町の名で、北枝が住んでいた処らしい。 可心の写本によると、奥の細道に、そんな記事は見えないが、 翁にぞ蚊帳つり草を習ひける 北枝 野....
花模様女剣戟」より 著者:小野佐世男
ンだから、ソレッ、楽屋へ行って筑波澄子さんに面会……急げッ!」 4奥の細道のような楽屋廊下を通って、段々ばしごを中二階へ、水色の筑波澄子嬢へとすっ....