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「奥多摩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

奥多摩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
同時に、足一歩、青梅の宿に入れば、身は全く武蔵アルプスの尾根に包まれて、道は全く奥多摩渓谷の薬研《やげん》の中を走ることになっている。 ですから、青梅鉄道とい....
異質触媒作用」より 著者:寺田寅彦
いるより安いことだけはたしかである。 試みにある日曜の昼過ぎから家族四人連れで奥多摩の入口の辺までという予定で出かけた。青梅街道を志して自分で地図を見ながら、....
勉強記」より 著者:坂口安吾
たが、それでも誰だったかの話によると、その前年のことであるが、大菩薩峠にほど近い奥多摩山中の掘立小屋、これは伴某という往年の夢想児が奥多摩の高原を牧場にし峠から....
中里介山の『大菩薩峠』」より 著者:三田村鳶魚
上 中里介山さんの『大菩薩峠』(普及本の第一巻)を読んでみる。これは最初のところは、奥多摩の地理や生活ぶりが書いてあるので、そこに生れた作者にとっては、何の造作もな....
光は影を」より 著者:岸田国士
ういうと、多津は、 「ところが、兄さん、それだけじや、すまないのよ。こないだも、奥多摩へピクニックするんだつて、その仲間と一緒にでかけたのよ。それがどう、ポータ....
雪代山女魚」より 著者:佐藤垢石
釣り人が持つ特権だ。 六 東京に近い川で山女魚の棲んでいるのは、奥多摩の本流とその支流日原川と、秋川とである。だが、東京に近いだけに交通の便がよ....
魔味洗心」より 著者:佐藤垢石
が、房総半島の養老川や夷隅川、小田原の酒匂川などの鮎は、人の味覚に勧められない。奥多摩川に産する鮎は東日本随一の味を持っていると、江戸っ児は自慢したものである。....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
いずれがどれとも名は分からないが、奥秩父の高山が東へ向かって走ったその奥遙かに、奥多摩の雲取山が銀鼠色に、淡く煙って見える。太い平らな胴を台にして、熊の爪のよう....
香魚と水質」より 著者:佐藤垢石
ではない。 山女魚も、水温の低い渓流に棲んでいるものほど、骨がやわらかである。奥多摩川でも奥利根川でも、暑中水温の割合に高い中流に棲んでいる山女魚を見るが、こ....
香魚の讃」より 著者:佐藤垢石
国いずれの川も豊産であったように、老いたる流れ、多摩川も鮎に恵まれた。 三奥多摩川の渓谷も、清麗である。今年も、江戸川や小和田湾で採れた稚鮎の放流で川は賑....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
。三峰川と中津川では山女魚釣りに谷を跋渉した。高麗川と名栗川へも行った。多摩川と奥多摩川、日原川、秋川などはここで説明するまでもない。江戸川、中川、綾瀬川など、....
母の手毬歌」より 著者:柳田国男
らそういう鳥の巣のあったのは、萱屋根の上に棟押えの木を組んでのせたもので、現在|奥多摩の山村などにある農家よりも、今|一かさ偉大なものが、昔の東京市内には立って....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
郎氏の「大義の末」を読みながらも思い出されたが、終戦直後のこと。私の疎開していた奥多摩附近の山の洞窟へ詔勅で解散した溝ノ口陸軍部隊の一部が、弾薬、食糧物資などを....
梅ちらほら」より 著者:吉川英治
、梅は伐るほどいいといわれ、それに南枝、東枝、やたらに伸びるので、よく伐られる。奥多摩地方では、梅の実を多く収穫するために、梅の枝を、捻じ折る習慣がある。ために....
押入れ随筆」より 著者:吉川英治
ちの友人間でも、どうかすると、そんな枯淡な話が出る。特に私は、梅の名所といわれる奥多摩の吉野村に十年も疎開生活していたことがあるから、梅干にかぎらず、梅に関する....