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奥州征伐
「奥州征伐〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
奥州征伐の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いで、堂の戸前へ腰を卸し、 「いつ見ても、この欅並木はたいしたものだ、八幡太郎が
奥州征伐の時に植えたということだが、八幡太郎は今から何年ぐらい前の人だか知らねえ....
「土俗玩具の話」より 著者:淡島寒月
すれば人間生活と不離の関係を有するものである。例えば奥州の三春駒は田村麻呂将軍が
奥州征伐の時、清水寺の僧|円珍が小さい駒を刻みて与えたるに、多数の騎馬武者に化現....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
かし世上には偽書七十二巻を作って流布し、正書は誰にも見せなかった。八幡太郎義家が
奥州征伐にでかけるとき、はじめて天皇が正書を義家に授与された、ということになって....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
く、討伐を受くべき所由はなかるべきはずであるが、頼朝の真意は義経誅戮よりもむしろ
奥州征伐であったに相違ない。 そこで彼は直ちに出征の準備に着手し、六月六日には....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
を寄進して、所願成就の祈りをこめた。そのとき今川|範国が、 「ご先祖義家公にも、
奥州征伐のみぎりには、ただ七騎とならせ給うた例があります。はじめの負けは御当家の....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
、清原氏についで奥羽二州に勢力を振うこととなったのである。後に文治五年の源頼朝の
奥州征伐は、その名は藤原氏が弟義経を容隠したにあったとはいえ、その根本はやはり華....