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奥州街道
「奥州街道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
奥州街道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らを見渡したのは、鰻縄手に住む奥州浪人の岩下左内であった。追分から浅嘉町へ通ずる
奥州街道の一部を、俗に鰻縄手という。その地名の起りに就いてはいろいろの説もあるが....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ぐにお話し申します」 文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、
奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ繋がって、房川の渡....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
に負いました。伝蔵は荷物を背負いました。大川づたいに綾瀬の上へまわって、千住から
奥州街道へ出るつもりで、男も女も顔をつゝんで石原から大川端へ差しかゝると、生憎に....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
。坂東太郎という利根の大河もここは船渡しで、江戸時代には房川の渡しと呼んでいた。
奥州街道と日光街道との要所であるから、栗橋の宿には関所がある。その関所をすぎて川....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
利根の渡しをわたれば中田はすぐである。「店があれでも五六軒はありますかなア。昔、
奥州街道が栄えた時分には、あれでもなかなかにぎやかなものでしたが、今ではだめです....
「雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
ったから、何処《どこ》にも永く尻が落着く筈がねえ。仕舞《しまい》には、流れ流れて
奥州街道を、越ガ谷の方まで、見世物の中にまじって落ちて行きさえしたのだ。その越ガ....
「天災と国防」より 著者:寺田寅彦
、言わばただ一連の念珠のように観測所の列が分布しているだけである。たとえて言わば
奥州街道から来るか東海道から来るか信越線から来るかもしれない敵の襲来に備えるため....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を抜かれたように、 「して、いずれからおいでになりました」 「江戸を立ち出でて、
奥州街道を白河より福島を経て、これより仙台城下へまかり通ろうとする途中でござる」....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
は気がせく。
人一倍の健脚に鞭《むち》をくれて、のしものしたり一日に十有数里。
奥州街道。
江戸から二里で千住《せんじゅ》。おなじく二里で草加《そうか》。それ....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
。それでも人家は百七八十戸もあって、村の入口には商売店なども少しはある。――昔は
奥州街道の一部で、上り下りの大名の道中や、旅人の往来などでかなりに繁昌したそうだ....
「山姑の怪」より 著者:田中貢太郎
ら逃げようと思った。彼は川崎の方へ行商に往くと云って家を出、川崎の方へは往かずに
奥州街道をくだって三春へ往き、其処の二日町と云う処に借家をしていた。 二十日ば....
「武蔵野」より 著者:山田美妙
途にあれば敵の謀計でもあるかと腕がとりしばられる。そのころはまだ純粋の武蔵野で、
奥州街道はわずかに隅田川の辺を沿うてあッたので、なかなか通常の者でただいまの九段....
「鸚鵡蔵代首伝説」より 著者:国枝史郎
て! さあお目にかかった。どうするか見やがれ! ……女に姿やつしてよ、中仙道から
奥州街道、東海道まで土蔵を破らせりゃア、その昔の熊坂長範よりゃア凄いといわれた綱....
「奥の海」より 著者:久生十蘭
それさえも不明である。 千住を出離れたが、いよいよ数は増すばかり、難民の群れは
奥州街道を埋めつくす勢いで、草加の近くまで切れ目もなくつづき、新宿、品川のお救小....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
今日銀座の往来に見かけて双方図らず便利を得ることあり。今年出入りの八百屋が、来年
奥州街道の旅籠屋《はたごや》にて腹痛の介抱してくれることもあらん。 人類多しと....